May I cook for you ?

− 飛島&悟 −


その日は、仕事の関係で飛島とは別行動になり、思いのほか早く切り上げることができた悟は、家に帰ろうと駅に向かって歩いていた。
すると、
―― ♪〜
リズミカルな着信音とともに、携帯が呼び出しを告げる。相手は、
『悟さん? 今、どちらですか?』
唯一、着信音を指定している相手は、仕事上でもプライベートでもパートナーである飛島からのもので、悟は何の迷いもなく近くの駅名を告げた。
『そうですか、悟さんの方は、打ち合わせは終わったんですね。お疲れ様でした』
「ああ、今回のクライアントとは何か好みがあっててさ。トントン拍子で決まっちゃったぜ」
そう楽しそうに告げると、一瞬、電話の向こうで飛島が押し黙っていた。
しかし、
「それで、特に用もないからな。これからまっすぐ帰るつもりだけど…お前は?」
この日、悟は電車を使っていたが飛島は車である。だから飛島も終わっているなら、どこかで拾ってもらおうと思っていたのだが、
『それが…こちらはちょっと変更が入りまして。もう少し話を詰めておこうと思いますので、帰りが遅くなりそうです』
そういう声は、電話越しでも恐縮しているのが良く判るもので。顔は見えなくても、今頃はお預けされた犬のように、シュンとしているのだろうと想像できるところだ。
その上、
『それで申し訳ないのですが、今日の夕飯は…』
飛島にとって、何をおいても大事なのは悟のこと。以前の会社であれば、仕事よりも悟の方を選ぶのが日常茶飯事であったのだが、現在の二人の会社においてはそうも言ってはいられないのだ。事務的なことをおざなりにしておけば、苦労するのは実際に設計を描く悟になる。そうなれば却って悟の迷惑にもなりかねないというものなのだ。
勿論、そのことは悟も良く判っていて、
「ああ、いいって、気にすんなよ。その辺のホカ弁でも買って帰るからさ」
そう答えたが、それでも飛島は心配そうだった。しかも、
『申し訳ありません。なるべく早く帰りますから』
そう言いながら、『寒いですから陽のあるうちに』、『暗い道は通っちゃダメですよ』とか、挙句には『知らない人には着いて行かないでください』とか。人を何歳だと思っているんだ!と言わせたくなるようにくどくどと心配を告げると、流石に慣れていたはずの悟も呆れてしまった。
尤も、飛島の心配性は今に始まったことではなく、
「判ったって! 帰りに食い物だけ買ったらうちで大人しくしてるから、それでいいな!」
『は、はい。そうしてください。くれぐれも…』
「くどいっ!」
いつものこととはいえこの心配性はどうにかならないのか思いつつ、携帯の電源まで切ってしまうと、それでも早く帰って大人しくしていようと思う悟であった。



ところが、
「…マジかよ?」
行きつけのホカ弁屋が何を思ったのかこの日に限って休みとなっており、しかも冷たい雨まで降ってきたものだから、悟は何も買わずに事務所を兼用している自宅に帰る羽目となってしまった。



「まぁ何かあるだろ?」
とりあえず熱めのシャワーを浴びて冷えた体を温めると、悟は早速冷蔵庫の中身を物色し始めた。
ここは、悟が飛島と一緒に暮らしている三階建てのビルである。
一階は『高階設計事務所』という、今ではそれなりに知られた設計事務所。社名に悟の苗字を冠しているが、あくまでも社長は飛島である。それというのも、前の会社での社長業にほとほと嫌気を感じていた悟であり、今後は好きな設計にだけ専念できるようにと、飛島が経営などの一切を引き受けることになっていた。流石に一人ではこなし切れないので、経理と受付をかねた女性を2人ほど雇ってはいるが、この日は既に終業時刻を過ぎており、帰宅してしまったようだ。
そして、二階は事務所の控え室も兼ねたリビングとなっており、その上になる三階は完全なプライベートエリアとなっていた。
悟はその二階エリアにバスローブのままで降りてくると、2人で使うには大きめである冷蔵庫を開けて、とりあえず愛用している栄養ドリンクを手に取った。
ほんのりと温まった身体に冷たいドリンク剤は、まるで身体の内側からしみこむ様に喉を通りすぎて行く。
それを一息に済ませると、目が覚めるようにすっきりとする。
「まぁ飛島のことだからな。昨日の残り物とか、なんかあるだろ?」
元々飛島は几帳面で、冷蔵庫の中も一目で何がどこにあるか判るようになっている。
ところが、
「あれ? 何もないのかよ? だって昨日は…」
基本的に悟の食生活は飛島が管理している。そして、悟のためなら何でもという飛島は手作りを当然とするのでちょっとした惣菜なども入っていることが多いものだが、
「あ、そうか。昨日は外で食ったんだっけ。ってことは…」
思い出せば昨夜は現場帰りに外食で済ませたのだった。そしてその前日は遅くまで仕事をしたので、残り物で夜食を作ってもらった覚えがある。
つまり、ちょっと温めれば食べれるといった類のものがきれいさっぱりと片付けられてしまった状態であり、
「マジかよ。じゃあ、レトルトかインスタント…なんて、アイツが買ってるわけないか」
せめてカップラーメンとも思ったが、以前悟が「生麺の方が美味い」などといったものだから、それ以来飛島がインスタントの乾麺など買うこともなく、レトルトどころかカレーなどは粉やスパイスはあってもルーがない。
幸い、米は精米したものがあったから何とか飛島がやっていたのを思い出して炊飯器にセットはしたが、ふりかけや海苔といったものも見当たらないので、それだけで食べるには辛いところがあった。
「アノ野郎…俺に何を食えって言うんだよ」
勿論、飛島には「ホカ弁でも買って」と言ったのは悟である。まさか店が休みとは思っていなかったのだが、外はかなりの本降りになってきているし、折角シャワーで体を温めたのに、今更外へ買い物に行く気にもなれない。
それに、この雨の中、買い物に出たなど飛島にバレたら ――
「…後で何を言われるか、判ったもんじゃねぇよな」
悟にそんな事をさせるくらいなら、仕事中だろうが呼び出してくださいと言いかねない飛島である。
(ったく、そんなことできるわけねぇって、何で判んないんだ、アイツは!)
とはいえ飛島の悟に対する溺愛ぶりはこの業界ではよく知られていて、何を今更と見られているということも悟だけが気がついていないのだが。
しかし、
「とにかく、なんか食いたいよな。できれば温かいもの…」
食べられないと思えば、食べたくなるのが人間の心理と言うものなのか。
それに、この雨の中、きっとやきもきしながら仕事をしているだろう飛島のことを思えば、
「…しょーがねぇよな。うん、俺がいっちょ、作ってやらぁ!」
そう思い立つと、楽しそうに鍋を取り出した。
勿論、以前、「悟さんは料理はしないで下さいね。怪我でもされては私が困ります」としっかり反対されていたことを思い出してはいたのだが、
「ま、鍋物なら失敗はねぇよな。煮込めばいいんだからさ」
まるで自分自身に言い聞かせるようにそう気合をいれると、改めて冷蔵庫を開けた。
そして ―― 目に入ったのは、牛乳パック。
(そういやあ、母さんが作ってくれたシチューは絶品だったよな)
流石にあの味を再現できるとは思えないが、なんとなく懐かしく思えたのは事実で、
「よし、シチューにしよう。やっぱ、寒いときはあったかいシチューだぜ、うん」
そう決めると、
『悟さん、ありがとうございます。とてもおいしいですよ』
そんな誰かの台詞を思い浮かべながら、悟は一気に牛乳を鍋に注いだ。



「あ…れ? なんだ、これ? げっ、何だよ。牛乳って焦げるのか?」
「うーん…よし、変更。カレーにしよう。黒くしちゃえば判らねぇって」
「…カレー粉? あれ? こっちは…ガラムマサラって、何?」
「あれ? カレーってもっとドロっとしてるよな? おかしいな、コレじゃあスープじゃん?」
「まぁいいか。メシにかければ、変わるだろ? そういやぁ、メシの方は…」
「…水の量が違ってたか? げっ、硬っ。これじゃあ、せんべいだぜ。あ、じゃあ、メシも一緒に煮ちゃえば柔らかくなるんじゃあ…」
「…これ、絶対にカレーじゃねぇよな。雑炊? いや、おかゆに近いか? うーん、歯ごたえがほしいぞ」
「蕎麦メシって、流行だよな。こうなったら、流行モノで攻めるぜ!」
「なんか、すっげぇボソボソって感じ? おかしいな、何が違ってた?」
「まぁ料理は見かけじゃねぇよな。味だよ、味!」
「…醤油…いや、ソースだな」
「ケチャップで色を変えてみるか?」



「…なんか、魔法使いのば〜さんになった気分だ…」



数時間後、何となく嫌な予感のした飛島が戻ると、そこはよく警察沙汰にならなかったものだと思うような臭気に満ちていた。
「悟さんっ!?」
「…よぉ、お帰り〜」
慌てて飛び込めばリビングのソファーにはぐったりと倒れこんだ悟がいて。飛島は何事かとかけよった。
「どうしたんです? 何がありました?」
「…った…」
やや蒼い顔の悟の様子に、心配もMaxになった飛島であったが、
「腹減って、死にそう。何か食い物、くれ〜」
そう訴える悟は半分涙目で、一瞬ホッとした飛島は、それでも怪訝そうに尋ねた。
「食べて…ないんですか? お弁当は?」
「今日休みだった…から…」
そう言って何気に悟が視線をキッチンの方に向けるので、嫌な予感のした飛島はチラリとそちらを見てから、覚悟を決めて尋ねた。
「因みにこの臭いは…まさかと思いますが…」
「だって、腹減ったんだよ」
「…作ろうとしたんですね?」
はっきり言って、悟の料理の腕は破滅的に下手である。
いや、破滅的にと言うよりは「破壊的」といった方が正しいくらいで。以前にも挑戦したことがあるが、あわやキッチンの全面リフォームが必要かと思えるほどの惨状を起こした事だってあるくらいだ。
そのため、毎回そんなことになっては大変だからと、それ以来、二度と作ろうとはしなったはずなのだが…
「だって、今更外に買いに行くには寒いし」
「でしたら私にお電話してくだされば?」
「馬鹿、仕事の邪魔できるか。それに鍋物だったら、お前も帰ってすぐに食べれると思ったんだよ」
「え?」
何気にそう言った悟だが、言ってからハッと我に却って頬を赤らめた。
そう、これでは、まるで飛島のために作ってやろうとしたとでも言うようだったから。
「いや、違う。その…片付けとか大変だろうと思ったから、鍋一つでできるものって思ったのが間違いだったな。やっぱ、横着はだめだな、うん」
そう取ってつけたように言い換えたが、今更それも遅いというもの。
しかし、
「無理はしないで下さい、悟さん。私には、貴方がいてくれるだけで世界が暖かいのですから」



*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*



因みに、悟は「食ったら死ぬぞ!」と騒いだのだが、折角悟が作ってくれたものである。「捨てるなんてできません」と顔色一つ変えずに口にした飛島だったが、そのなんともいえぬ味に、
「一つお聞きしたいのですが…何を作るおつもりだったんですか?」
そう尋ねると、
「…さぁ? とりあえず、食えるもの?」
そう答えてとりあえずいれた覚えのある食品名を列挙した悟に、
「料理なら私がしますから、お願いですから悟さんは二度と絶対に、何があってもしないで下さいね」
飛島がそう念を押したのは言うまでもない。



Fin.


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