May I cook for you ?

− 尚樹&祐介 −


「それでね、龍也ってば、本当はとっても忙しいのに、『お前に美味いマグロを食わせてやるからな』って、マグロ一匹を軽々解体しちゃって、その上すっごい美味しい料理も作ってくれたんだぁ〜」
そう言って見せる表情はどんな不機嫌な人間でもつられて笑顔をうかべそうなスペシャルスマイルで、
「へぇ〜、あの男がねぇ…」
これが他の人間なら、「惚気話はヨソでやってくれ」と言いかねない尚樹も意外そうに聞き入っていた。
今日はインフルエンザの予防接種のために五十嵐総合病院を訪れた尚樹であったが、そこで偶然従兄の克己に捕まってしまっていた。
いつもなら仕事中はほんの挨拶程度の会話なのだが、丁度休憩時間になっていたということと ―― 余程良い事があったらしくて、それを誰かに言いたくて仕方がなかったらしい。それに気がついた尚樹が冷やかし半分で付き合っていたのだが、その内容には流石に驚いてしまった。
何せ克己の相手である藤代龍也といえば、何千、何万、何十万という手下を持っているヤクザの組長。人を使うことには慣れていて、その気になれば一流の板前を店ごと買い占める事だって可能なほどの権力と財力を持っているはずだ。
それが、最愛の恋人のためにと自ら慣れない料理をしたというのだから ―― 「恋は盲目」とはよく言ったものだ、と。
しかも、
「うん、そうなの♪ でもって、始めて見たんだけど、龍也も料理がすっごく上手でね。特に包丁さばきなんかすごくて、マグロ一匹解体するのもお手のものって言う感じだったんだv」
「そりゃあ、刃物なら…ある意味、慣れてるかも知れないよな」
そんな恐ろしいことを呟くが、嬉しくて仕方のない克己には聞こえていないようだ。
その上、
「それでね、他にも食べたいものがあったらいつでも作ってやるぞ、って言ってくれて。ホントにうれしかったなぁ〜」
そんな風に手放しで喜んでいるところを見ると、今では克己に下心もなくなったとは言え ―― やはり面白くはないものだ。
(フン、そりゃあな。材料や道具に金をかければ、幾らでも美味いものは作れるさ)
勿論そうは思っても、口に出さないくらいの配慮は尚樹にもできるところ。
それにどうやら多少の見返りは必須条件だったようで、克己の細い項に見え隠れしている朱色の痕が物語っていることも尚樹にはお見通しである。
しかし、
「でもさぁ、やっぱり、手作りって嬉しいよね。僕は料理ができないからダメだけど、尚樹の所は祐介君が上手なんでしょ? やっぱり美味しい?」
「まぁ…そりゃあね」
「やっぱりね〜。尚樹も料理は上手だし、裕介君も幸せだね。あ、そろそろ時間だ。じゃあね」
そう言ってさっさと仕事に戻った克己だったが、ふと今の会話で固まってしまった。
確かに、克己には一切の家事をさせなかった京子であるが、実の息子である尚樹と政樹は徹底的に教え込まれている。お陰で政樹など、ホワイトデーには毎回彼女に手作りのお菓子で返しているというくらいだ。
しかし、
「…そういやあ、祐介に俺の手料理を食べさせたことってなかったな」
そう思いつけば ―― そこはやはり恋人には甘い尚樹のこと。
「手料理か、成程。それはいい手だな」
そうニヤリと微笑むと、その類稀な頭脳がめまぐるしい計算を始めていた。



*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*



いつものように授業が終わるとさっさと帰り支度を始めた郁巳だったが、元気のない祐介にふときがついた。
「どうしたの、祐介? 元気ないじゃん?」
「え? そんなこと…」
ないよと言い掛けて、ぐっと息を詰まらせると、ぽろりと一筋、頬を伝った。
「え、な、何? どうした? どっか痛いとか?」
勿論慌てたのは郁巳の方で、
(ヤバイ! 祐介を泣かせたなんて先輩にバレたら…)
慌てて宥めにかかるが、祐介のほうはまるで箍が外れたようにポロポロと大粒の涙を零すばかりだ。
しかも、突然のことに何事かとギャラリーは増える一方であるが、誰もかれもが祐介のバックにいる人物に睨まれるのは怖いものだから遠巻きで見るだけである。
当然それは、郁巳だって同じなのだが、
「と、とにかく…」
下手に噂されて尚樹に間違った情報が伝われば、郁巳の学園ライフが終焉を迎えることも考えられる。
そんな身の危険もあって、郁巳はとりあえず祐介を連れ出して学校を後にした。



身体の芯から温まるようなホットミルクを飲み干して、漸く落ち着いた祐介は、少し恥ずかしそうに俯いた。
「ごめんね、郁巳。びっくりさせちゃって…」
「いや、それはいいけど…何があったのかは、聞いてもいいかな? ああ、心配しなくてもいいよ。幸洋は今頃仕事中だから、当分帰ってこないから」
そんなことを郁巳が言ったのも ―― 咄嗟に、ゆっくり二人きりで話せるところといえば思いつかなかったのである。実はここは郁巳の恋人である幸洋のマンションの一室で、何の説明もなくつれて来たのだから、我に返った祐介が不安に思うのも無理はないところだ。
しかし、
「そっか…幸洋さんの…」
そう呟くと、再び目元が潤んでいる。
そんな祐介に、
(あらら…これはまた、かなり重症?)
どうせ尚樹絡みのことだろう―― ついでに言えば、おそらくは祐介の考えすぎか遠慮のし過ぎが原因 ―― とは思っていたが、どうやらこれは本気で落ち込んでいるらしい。
そうとなれば。何となく祐介には甘くなる郁巳としては、このまま放っておくことなど出来るはずもなく、
「祐介?」
「うん…ごめんね。何でもないんだ…」
「…ってのは、ナシだよ。親友だろ、俺たち?」
あくまでも口調は優しく、しかし、絶対に理由を聞くまでは逃がさないというように覗き込めば、祐介も踏ん切りがついたように呟いた。
「…僕、先輩に嫌われちゃったかもしれない…」
本当に小さな声で呟いたが、それは間違いなく郁巳の耳にも届いて。
「…はぁ?」
例え天変地異が起きようとも、絶対にそれはありえないと思う。
だが、そう呟いた祐介のほうは、どうやら本気でそう思っているようだ。
「あ、あのさ。どうしてそう思うわけ? 理由…あるんだよね?」
「うん…聞いてくれる?」
勿論そんなことは祐介だって信じたくないのだろう。だから、自分で結論を出してしまいながらも、どこかでは誰かに「それは違うよ」と言って欲しいのだろう。
だから、祐介はしゃくりあげそうになることを我慢しながら、ゆっくりと話し始めた。
「実は…先輩に、しばらくマンションには来るなって言われたんだ」
尚樹が従兄の克己のマンションを借りて一人暮らしを始めたのは昨年の夏のこと。その後、週末は勿論、平日だって、なんだかんだと理由をつけて、尚樹が祐介をマンションに呼び出していたのは郁巳もよく知っている。
しかし、
「それは…やっぱ、受験が近いから、とか?」
一応、尚樹は受験生。しかも狙いは国立の最難関で、それでなくても難しい法学部。となれば、色恋沙汰に現を抜かしている場合ではないともいえるところだが…そんな正論を言ってみた郁巳もよく知っている。
おそらく、普通に受験して尚樹が失敗したとしたら、合格する受験生は皆無だったと言っても良いほどだろう。
全国模試でも常に5本の指に入って、今でも十分国家試験の一つや二つ、ストレートで合格しかねないほどの天才である。
ついでに言えば、悪巧みにかけてはそれ以上の才能を発揮するのも事実であるが ―― それは今回はおいておくとしても、だ。
「まぁ、ほら。尚樹さん自体は全然OKだろうけど、やっぱり周りの目とかあるからさ。そんなことに祐介を巻き込みたくないというか…」
それは確かにあるかもしれない。
だが、祐介とのことに関しては一切周りになんと言われようと体裁を繕うような尚樹でもない。
おかげで、そんな慰めの言葉を一応言ってみた郁巳であったが、それは言った本人が一番信じてないと言っても過言ではなかった。
「…っていうか、本当に尚樹さんが『来るな』って言ったの? どうもそれが信じられないんだけど?」
「それは…先輩は優しいもの。はっきりと『来るな』なんて言わないけど…」
『祐介も生徒会の引継ぎとか、なにかと忙しいだろう? 今週はそっちを優先して構わないぞ』
正確に言われたのはそんな台詞で。だが、週末は勿論、平日でも3日と空けずに尚樹のマンションに通っていた祐介である。勿論それは全然無理をしてということではなかったのだから、それを『来るな』と捕らえてしまったとしても仕方のないところだ。
しかし、
(…っていうか、そもそも生徒会ってのが尚樹先輩が祐介を心配してる証拠じゃん?)
実は、この3月には卒業してしまう尚樹としては、自分のいない高校に祐介を残すことがかなり心配のようで。おかげで少しでも状況を把握しておこうというつもりらしく、来年度は自分の息のかかった生徒会に祐介と郁巳も入れさせて、逐一報告をさせようという魂胆だということは郁巳にはイヤというほどに気がついていた。
となれば、それは尚樹が何か企んでいるとしか思えなくて。
「絶対にそれはありえないと思うんだけど…まぁいいや。ウジウジ考えてても仕方がないからね。いいよ、俺が聞いてあげる」
そういうと、驚く祐介には構わず、郁巳は尚樹に電話をかけていた。



そして、かっきり30分後 ――
「…悪かったな、祐介。お前を驚かせようと思ったんだが…却って心配させてしまったようだ」
そう言って珍しく慌てて迎えに来た尚樹によって、祐介はすぐさま『来るな』といわれたはずの部屋にお持ち帰りされていた。



もう何度も訪れたマンションを前にして、祐介はどこか不安げな表情で尚樹を見上げていた。
「祐介?」
心配そうに見つめ返してくる尚樹の視線も今は痛い。
しかし、
(もしかして…誰かいるとか? だから、僕には来るなって…)
そんな悪い方向へと考えてしまうのは、何度も言われてもやはり[自分に自信がないから。
だが、
「ほら、おいで。それとも、ちょっと来ないうちに、俺の部屋も忘れちゃったかな?」
そういうと、尚樹は祐介の腰を抱くようにして部屋のドアを開けた。
その瞬間、
「え?」
尚樹が住んでいるのは、15階建て高級マンションの最上階。勿論、冷暖房も完備で外の喧騒も見事に遮断された別天地である。
しかし、
「本当は…もうちょっと内緒にしておきたかったんだけどな。でも、こんなことでお前に寂しい思いをさせるのは困るからな」
そう苦笑を浮かべる尚樹であったが、祐介のほうは却ってビックリして、足が竦んでしまった。
それはまるでどこかのレストランのように芳ばしい香りであって。
そう、例えるなら洋食系の ――
だが、基本的に自炊はしない尚樹だと思っていたから、料理の匂いがするということは誰かが作ってくれているのだろうと思ってしまったのだ。
ところが、
「久し振りにちょっと凝ってみたからな。ちゃんとフォンドボーから手作りなんだぜ?」
そう言って少し照れたように笑う尚樹に、祐介は全てが誤解だったと初めて気がついた。
「あの…もしかして、尚樹さんが…?」
「ああ、お前に食べさせたくて作ってみたんだ」
そう言って通されたキッチンは、更に芳ばしい匂いに包まれている。
どうやらその匂いの元は大きな鍋の中身らしく、そっと覗いた祐介はビックリして尚樹を振り返った。
その中には、途端に食欲をそそるようなビーフシチューが食べて貰える時を待っていた。



「とってもおいしいです。こんなにおいしいビーフシチュー、初めてですよ」
「そうか? お代わりあるからな、一杯食べろよ」
心からそう言っておいしそうに食べる祐介に、やはり作って良かったと、尚樹はかなりのご満悦である。
龍也のように材料や道具に金をかけなくても、時間と愛情をかければ美味いものは作れるはずと。最初は妙な意地で始めた料理だが、こんなに祐介が喜んでくれるのならば、もっと早くに作ってやればよかったと思うくらいだ。
だが、
「でも、せ…尚樹さんが、こんなにお料理も上手だとは知りませんでした。僕よりも本格的だし、僕の作るものより、絶対美味しいです」
それでは自分が尚樹にしてあげられることがまた一つ減ってしまうとも思ったのだが、尚樹に嘘はつけない祐介である。
しかし、
「いや、やっぱり祐介の手料理の方が俺には合ってるな。たまにはいいかもしれないが…やはり祐介が作ってくれて、一緒に食べる方が断然に美味いよ」
そう言って微笑めば、祐介は真っ赤に頬を染めながらも嬉しそうに呟いた。
「そんな…嬉しいです。尚樹さん」



(第一…俺が作ったのでは、可愛い祐介のエプロン姿も見ることが出来ないか)
そう思った尚樹だが、それは勿論、祐介にはナイショである。




Fin.


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