いつもの通り、多くの大人たちのまえで優雅に舞って見せると、心地よい視線が一心に向けられた。
「いや…流石、師範のお孫さんでいらっしゃる」
「この年でこれだけの色気が出せるとは…誠、将来が楽しみかと」
感嘆の声に、どこか批評も入るのはいつものこと。
だから、郁巳は優雅に表面だけ微笑むと、誰にも気付かれないように心を閉ざした。
どんなに練習して、完璧に舞ってみても ―― 下される言葉は『流石師範のお孫さん』
(あんたたちにとって、僕はお爺様の身代わりにしか過ぎないんだよな)
それは今に始まったことではないけれど、だからこそもどうでもいいと思う。
誰も、「川原郁巳」としての自分など、見てはくれない。
ならば、自分だって見せてなんかやらない。
コピーが欲しいなら、見事にそれを演じきるだけ。
そうすれば ―― 少なくとも、馬鹿な大人たちはちやほやしてくれるから。
それでも ―― 中学に入って、流石に身体は大人の「男」に近づいてくる。
いつまでも女形ができるかは、はっきりいって怪しいところ。
幸い川原の血は華奢な体型が濃く、身長はともかく、食べても太らないし、筋肉も薄いと思う。
それでも ―― やはり「女」である姉には勝てない。
「郁巳、あんた、ホントに踊りが好きなの?」
「ん? どして?」
「だって、好きで踊ってるって感じじゃないわ。イヤなら辞めたら? 別に封建時代でもないんだし、無理に家業を継ぐこともないでしょ?」
既に趣味以上にやる気はないと公言する姉は、見事に痛いところを付いてくる。
(僕は…姉さんみたいに強くはないよ)
物心付いたときから、全ては大人の視線の中。この中で育ったから、今更、この視線から逃れて生きることなんて考えられない。
窮屈だけど、でも大人たちに表面だけでもちやほやされるのは気持ちが良いから。
「ありがとうございました」
一度のミスも犯さないで舞い上げると、舞台に手を着いて礼を述べる。
そして顔を上げた瞬間から、表面しか見ない大人たちへの愛想笑い。
「いやはや、ご立派ですな」
「流石は人間国宝といわれた先代のお孫さんじゃ」
「本当に、将来が楽しみですなぁ」
口々に、言ってる本人たちはそれが「褒め言葉」だと思っているだろうが、郁巳の心には何の感慨も及ばさない薄っぺらな賛辞だってことが、何故わからないのだろう?
(ま、所詮は僕の本当の姿なんか見てないってことだよね)
諦めきった心には、それすらどうでもいいことで ――
だから、僕は
今日も愛想笑いの仮面をつけて、今日も笑って見せるだけ ―― 。
Fin.
2003.11.28.