「たまには泊まりで旅行もいいよな?」
突然そんなことを言い出した慶一郎に連れ出されて、気が付けばとある山奥の山荘につれて来られていた。
「ここは?」
「ん? ああ、うちの別荘。と言っても久々だから、何にもないな」
一応前もって管理人には連絡し、掃除だけは頼んでおいたからとは言われても普段あまり開放されていないせいか、室内にはウッドデッキの独特の匂いが満ちていた。
「とにかく空気を入れ替えるか。それから買い物にでも行こうぜ」
「うん、そうだね」
荷物 ―― と言っても、持ってきたのは着替えが数枚入っただけのボストンバックと、ルーを入れたバスケットだけ。だから慶一郎がバッグを持ってくれれば、僕としては当然のようにバスケットを大事に抱え上げた。
「結構、見晴らしがいいんだぜ。近くに湖も見えるだろ?」
二階への階段の途中でそう言われると、確かに窓の向こうには確かに湖も見えている。
「本当だ。緑が一杯で綺麗だな」
「森林浴には事欠かないな。夕方になったら散歩にでも行くか」
「うん♪」
たまにはゆっくり散歩なんていうのもいいよね。
尤も、慶一郎はいつも僕に合わせて歩いてくれるから、一緒に歩くのは本当に好きなんだよね。
普段の学校では、僕はどうも他の人たちと話したりするのが苦手なんだ。だから、僕にとっては慶一郎が唯一の友達と言ってもいいくらい。でも慶一郎には友達がたくさんいるから、そんな人たちとも話ができるようにって気を使ってくれて。少しずつだけど、確かに学校は楽しい場所になっている。
でもね、僕はやっぱり、慶一郎と2人きりでいるときが…一番好きだよ。
だから隆幸さんが急に海外出張で出かけることになったから、無理を言って慶一郎のマンションに泊めてもらうようにしたのは ―― 僕の我侭だよね。
それなのに、こんなステキなところにつれてきてもらえるなんて!
嬉しくって、心臓が体から飛び出しそうだよ。
「凄い! 緑が一杯だね」
二階の部屋から続きになっているベランダに出ると、僕はその風景に見入っていた。
眼下に広がるのは針葉樹の森とアイスブルーの水面を誇る小さな湖。東京から大して離れていないはずなのに、まるで別世界みたいだ。
「にゃあ…にゃああ〜」
僕がそんな外に見とれていたら、流石にルーは我慢ができなくなったみたい。バリバリとかごを引っかく音がして、僕はそっとふたを開けてやった。
「ごめんね、ルー。ほら、もう出てきていいよ」
そっとふたを空ければ、突然眩しくなったのかルーは辺りを憚るようにごそごそと這い出してきた。そして敵がいないと気が付くと、ゴロゴロと喉を鳴らして僕に寄り添ってきた。
「おいで、ルー。ほらみてごらん? 凄く綺麗なところだよね。あ、でもお前はあんまり出歩くと迷子になっちゃうからね。一人で出かけちゃダメだよ?」
「みゃあ〜」
顔の前に抱き上げてそう云えば、まるで判ったと言うように返事をしてみせて。いいこだねって頭を撫でると、何故か慶一郎は不機嫌そうな顔になる。
「やっぱり…にしときゃよかった」
「慶一郎…?」
「まぁいいか。いうことを聞かなかったら、即行で森に置き去りにしてやるからな」
「もう! 慶一郎ってば!」
とりあえず荷物を解いて簡単に片付けて。落ち着いたら買い物に行こうという慶一郎と1階に降りると、僕はふと思い出して携帯を手に取った。
「そうだ、一応、隆幸さんにメール入れておくね。何かあって心配かけると悪いから」
そう言って携帯の電話帳を呼び出すと ―― 不意に慶一郎の手が伸びてきた。
「悪いな、ここ圏外だから」
「え?」
見れば ―― 携帯の表示にも「圏外」の文字が出ている。
そりゃあ確かに静かな森の奥深く、だけど…?
「折角だから、煩い外野に邪魔されないようにって思ってな」
そう言われれば、慶一郎は誰にでも優しくてしっかりしているから色々と頼まれることも多くて。
休みの日でも誰かから必ず1本は電話がかかってきて仕事を押し付けられることも多多あって…。
だから、本当に休みたいときは携帯の電源を切ってしまうことも多々あって。
「とにかく! 今回は思いっきりラブイチャで行くんだからな。 そのためにこの別荘を借りたんだぜ」
なんて言われたら ―― もう! 照れちゃうじゃないっ!
「ああ、心配要らないぞ。一応、普通の電話もあるからな」
但し、番号は公表してないけど、なんて言われては ―― 本当に2人きりというのが、今更ながらに恥かしい。
でも、
「折角の休みだもんな。誰にも邪魔されたくないんだ」
そう言って抱きしめてくれる腕が嬉しくて、僕はそのまま慶一郎の腕に身体を預けた。
Fin.
2004.08.23.