緑16:ありがとう(モクバ&瀬人)


「今日からお兄ちゃんね」
そう言って頭を撫でてくれた母の笑顔は、今となってはもう思い出すこともなかったけれど。



海馬の屋敷に引き取られて、生活は一変した。
与えられたモノは全て最高のランクを誇るものばかりであるが、それを扱うためには「資格」が必要で。
1日15時間の学習と5時間の訓練。無論、日に3回の食事は与えられていたが、それさえ一挙手一動を監視されたマナーの訓練ともなれば ―― 休まる暇などありはしない。
睡眠時間はトータルも3時間を切っているため、その日の「課題」が終われば泥のようにベッドに倒れこむのが精一杯だ。
だが、
「兄サマ…大丈夫?」
そっと声を押し殺して部屋にやってきたモクバに気が付くと、瀬人は疲労で悲鳴を上げているはずの身体をたたき起こした。
「モクバか? 兄サマなら大丈夫だ」
「でも…凄く疲れてるんでしょ? ごめんなさい、起こしちゃって…」
「いや…それより、お前の方こそ大丈夫か? 何か困ったこととかないか?」
この家の主が施設から引き取りたかったのは一人 ―― 瀬人だけ。
それを賭けの結果とはいえ無理に兄弟二人と頼み込んだのは瀬人である。
望まれていなかったモクバのことは、生活に不自由はさせないと聞かされてはいたが、やはり不安になる。
しかし、
「大丈夫だよ。オレなら、何にも困ってることなんてないぜ!」
そう、少なくとも兄と同じ屋根の下で生活できるなら、モクバに否はない。
ただ、そのために苦労をかけている兄には、本当に申し訳なくて、
「でも…兄サマ、オレのせいであの男に虐められてるんじゃないかと思って…ごめんね。オレ、いつも兄サマに迷惑ばっかりかけてて…」
そう俯いて肩を震わせる弟の姿は本当に小さい。
「そんなことはないぞ、モクバ。このくらい、兄サマなら大丈夫だ。
確かにこの生活は辛いが、だが、今教え込まれていることはやがて自分自身の武器になることがわかっている。
そう、いつまでもあの男の言いなりにはならない。いずれは自分の手であの男の持っているものを全て奪ってやる ―― と。
それに、
「お前がいるから ―― 兄サマはがんばれる。これからもっと忙しくて逢えることも少なくなるかもしれないが、それでも兄サマはお前を忘れたりはしないから」
「うん、判ってる。ありがとう、兄サマ」



両親を亡くして、失ったものは数え切れないほどある。
でも、それが全てではなく ―― モクバだけはいつも側にいてくれたから。
「感謝の言葉なら、寧ろ兄サマの方が言うべきかもな」
いつの間にか自分のベッドで寝てしまったモクバの寝顔を見守りながら、やがて瀬人も安らかな眠りについていた。






Fin.

いくら二人きりの兄弟と言っても、この二人の親密さはいかがでしょうかと。
ブラコンとは言いますが、むしろ弟離れしてない気がします。
因みに、浅葱の設定ではモクバはキサラの転生ということで。
確かTVでも青眼カード(お手製)を最初にくれたのはモクバでしたよね?

2005.07.02.

Silverry moon light