緑19:飛ばない鳥(海馬瀬人)


「折角の才能を持ちながら、アレは飛ぶことを知らぬ鳥だ。弟など打ち捨てておけばよいものを…」
そんな声を、瀬人は鈍痛の残る身体を広いベッドに投げ出したまま聞いていた。
「いずれは儂の後継者とするが…まだ雛にすぎん。一度入ってしまった籠から逃げる術など、アレには思い付かんのだろう」
カランと氷がグラスを滑る音がして、かすかな紫煙が瀬人の鼻腔をつく。
それだけで意識は既に覚醒していたが、瀬人は声に気付かれないように指一本動かさずにじっと耐えていた。
つい先日、下手に目が覚めていることを知られて ―― 客だけではなくあの男の相手までさせられた記憶に新しい。
恐らく「取引」が終われば、もう1回くらいは「客」の相手をしなければならないのだろうから ―― これ以上の余計な体力は使いたくない
だが、幸いにも瀬人の目が覚めていることは気付かれていないようだ。醜い大人たちは、ベッドの上でピクリとも動かない瀬人の姿を肴に、「取引」の話を進めていた。
「そんな事を言って…飛べないように羽を切って、籠から出たら酷いお仕置きがあると躾けたのは君だろう? 剛三郎」
「勿論だ。今は、飼い主のためにいい声で啼いていれば良いからな」
クククと満足気に笑う声がして、瀬人の身体が無意識に震える。
だが、幸い声の主達がいるのは隣室。続くドアは開け放たれているが、灯りも消されたこちらの気配は気付かれていないようだ。
だから、
「それよりも、例の話を詰めようではないか?」
「ああ、そうだね。可愛い小鳥が眠っている間に、無粋な仕事は片付けておこう」
その台詞が途絶えた後、確実に二人が部屋を移したことを見計らってから、瀬人はゆっくりと身体を起こした。



―― ザアッ…
頭から冷水を浴びて火照った身体を一気に冷ますと、今度は火傷しそうなほどの熱湯で身体を洗った。
もちろん、先ほどの情事 ―― 瀬人にとっては「仕事」にすぎない行為の後始末も済ませて、次のための準備をしておく。
それは決して心穏やかにできることではなかったけれど、
でもまだ、確実に大空に羽ばたくには ―― 己の羽根はまだ小さすぎる。
「…もう少し、だ。あともう少しで…」
鏡に映る自分にそう言い聞かせても、引き裂かれる心の痛みは決して和らぐことはない。
恐らく、この先ずっと。
それでも、この生き方を選んだのは間違いなく己だから。



飛び立とうと思えばいつでも飛び立つことはできる。
だが、今飛び立っても、飛び続けることができないことはわかっている。
だから ―― そう、今はまだ「飛ばない」だけのこと。
「飛べないんじゃない、俺はまだ、飛ばないだけだ」
誰にも負けない翼と牙を備えるまで ―― 。






Fin.

前回に引き続き暗そうなお題で…思いっきりダークになりました。
密かに書いている鬼畜話と多少リンクあり。
浅葱的には、剛海は調教のイメージが強いので…って、何を言ってるのかなっ!

2005.10.01.

Silverry moon light