紫15:サヨウナラ(瀬人)


ようやく温かくなってきたと思っていた3月の末。町は雪で覆われていた。
桜と雪 ―― 両方を一度に鑑賞できるということは風情があると言うことらしいが、子供の身で出かける方にとってはかなりの重労働だ。
だからこそ、シスターたちも止めたのだが。
この日を逃すと ―― もう、「そこ」へ行くことはできなくなるから。
ただ流石に幼い弟まで連れてくるのは無理だと思ったから、
「心配するな、モクバ。ちょっと出かけてくるだけだ。ちゃんと待っていられるよな?」
「…兄サマ…」
幼い弟が不安げに見上げてくるのを、いつもなら大丈夫と言い聞かせて抱きしめてきたけれど。
今日だけは ―― 無理に置いて来た。
まだ、あいつにはこんなことは判らないだろうから。
これは、「儀式」だから。



シンシンと降り積もる雪の中、瀬人は住職ですら姿を見せない霊園を訪れていた。
目の前には ―― 作りだけは豪勢で。
でもここ数年、誰も訪れてはいないだろうと思われる、寂しい墓が並んでいる。
幸い、雪が積もっているから見えないけれど。
恐らく、これからの季節には傍若無人な雑草が生えても、誰も手入れなどはしてくれないだろうと思う墓地。
そんな寂しいところに眠っているのが、自分達兄弟を置いて逝った ―― 生みの親達だ。
モクバを生んで、間もなくして亡くなった母と。
その母を失った後、まるで埋め合わせをするように仕事に没頭して、挙句に倒れた父。
その後の混乱は、今でも時折夢に見るくらいだ。
よってたかって財産を奪っていった「親戚」という名の他人は、瀬人とモクバをまるで厄介な「モノ」のようにしか見ることしかなく、挙句に今の施設に追いやったのは忘れはしない。
尤も、預けられた施設は割りと人道的で、虐待などがなかったことは幸いだ。
だからと言って、「ありがたい」何て思うわけもないのだけれど。



「今日は…さようならを言いに来たんだ」
立派な御影石の墓石に積もった雪を払って、その表の名前をそっとなぞる。
生まれてからずっと親しんできた苗字。だが ―― それもまもなく自分のものではなくなるから。
「今度、海馬家に引き取られることになったんだ。大丈夫。モクバは僕が絶対守ってみせるから」
自分達が生まれた家。
自分達が育った町。
自分達のものだった名前。
そのすべてと決別して、新しい人生を手に入れる。
それがどんなものかはまだ判らないけれど。
でも、立ち止まって入られないから。



「サヨウナラ、お父さん、お母さん。もう2度とこないよ」






Fin.

そもそも剛三郎に取り入ったとき、イカサマチェスをした社長。
ということは、「目的のためなら手段を選ばず」という性格は、
剛三郎に逢う前から片鱗はあったということで…。
もしかしたら施設で何かあったんですか?とか。
密かに萌えな話を考えてしまっている浅葱です。

2004.09.08.

Atelier Black-White