06.白昼夢 (ファラオ×セト)


多分、神経が高ぶっていたのだろう。
だからあんな幻を見たのだ ―― と、セトは思うことにした。



仕事が忙しいのはいつものことだが、特に今は母なるナイルの増水期 ―― つまり、新年祭。
お陰で神殿では神への祈りが捧げられるのは当然として、各国からの祝賀の大使も押し寄せれば、城下にも観光客や巡礼客が溢れるのは例年のごとく。
しかも、今回は新王になって初の新年祭となれば ―― 王宮の政務の一端を司る大神官であるセトにも通常業務とは別に山のような任務が降りかかってくる。
手を抜くなんてコトは最初から考えていない。
与えられた仕事は抜かりなく、完璧な結果を残すのが己の信念。
だが、仕事が増えたからと言って1日の時間が増えるわけではない。
当然削られるのはプライベート ―― それは睡眠時間であったり、休憩時間であったり。
だから流石に睡眠不足で ―― ファラオに決済の書類を持ってきたものの、その待ち時間についうとうととしてしまったのは仕方がないことだった。



「…んっ…」
ふと目を覚ますと、そこはセトには見慣れない部屋で。
広さは、神殿の別棟にある己の自室とさして変わらず、殺風景なこともいい勝負だ。
だからかもしれない、別段違和感なく ―― 寧ろ既視感すら感じたのは。
「どこだ、ここは?」
パサリと紫の法衣を翻して立ち上がれば、そんな音ですら吸い込まれるような静寂だけが世界を支配している。
気が付けば固い床であるにも関わらず、足音一つ響くことはなく ―― セトは訝しげに首をかしげた。
(また王子…いや、あのファラオの悪戯か? 全く、この忙しい時に!)
表向きは ―― 歴代稀に見る英明なファラオと称えられる新王であるが、王子の頃から仕えているセトにしてみればまだまだ子供で。だが、歴代のファラオの中でも選ばれたものにだけ許される三幻神を操る一方で、その心には深淵の闇も抱えている。
その闇は一国くらい簡単に飲み込む力でもあるのだが ―― 専ら使うのは、他愛のない悪戯ばかり。
被害を受けることが多いセトにしてみれば、いい迷惑としか言いようがない。
「今度は何の真似だ。全く…」
この忙しいのにふざけた真似をと怒鳴ってやりたいところだが、何故か大声を出すのは憚れて。
さてどうしたものかと腕を組んで佇めば、
―― パサッ…
紙の束が落ちる音がして、セトはそちらを振り向いた。
「な…に?」
見ればそこには柔らかそうなソファーがあって、その上で沈み込むように倒れて眠る一人の青年がいた。
先ほどの紙の音はその青年が手にしていた書類の束のようで、床に白い紙が散らばっている。
だがセトが驚いたのはそんなことではなく ――
栗色の髪に白皙の肌。流石に伏せられた眼の色は判らないが、その顔には心当たりがあり ――
「俺…か? いや、違う?」
姿かたちは瓜二つ。流石にセトには判らなかったが、やや青ざめて疲れ切った顔色までそっくりであると思う。但し着ている衣服には見覚えがない。白い清楚な服ではあるが、胸元まできっちりと絞められて、きつそうに見えるのは仕方がないことだ。
と、その時。
―― カチャッ
辺りを憚るような物音がして、見つめた先の窓から、セトも良く知った赤い髪の少年が姿を現した。
(王子っ…ファラオっ !?)
だがこちらも、セトが仕えるファラオと瓜二つではあったがやはり違い ―― ジャラジャラと銀の鎖を腰に巻きつけ、紺の上着らしいものを肩に掛けて袖は通さないという妙な格好である。
「なんだ、寝てるのか、海馬?」
窓から堂々と入ると、その少年は真直ぐにソファーに眠る青年の前に立ち、そっとその額に触れてみる。
「ん…」
どうやら少年にはセトの姿は見えてはいないようで、
「しょうがないな。こんなになるまで仕事するなよ? …ま、お前がオレの言うことなんか聞くわけもないけどな」
そう言ってその額に口付けると、そっと抱き上げて奥の寝室へと向っていった。



「申し訳ありません、ファラオ。セトがこちらに来てませんか?」
ひょいっと顔を出したマハードは、そう言いながらファラオの私室を覗き ―― そこで思わず固まってしまった。
見ればファラオの豪奢な寝台の上で。
豪奢な謁見用の衣装に身を纏っているファラオのすぐ横で。
まるで幼子のように安心しきって眠っているのは、紛れもなく大神官セト ―― 。
「セトに用か? マハード」
そうファラオが声をかけなければ、半時でも ―― それこそ半日でも見入っていたところだ。
「あ…はい、そろそろ祭祀が始まりますので、セトには祝詞を捧げる役目が…」
「そのくらいなら、お前でもできよう? オレの命令だ。今日はセトの代わりにお前が務めよ」
そう言いながらセトの栗色の髪を弄る姿は ―― まるで最愛の寵姫を侍らす王そのものである。
だが、
「よほど疲れているのだな。ココまで触れても起きる気配もない。こうなれば、起こすのは忍びないだろう?」
そう言ってそっとセトの頬に触れる時の視線は、決して他の誰にも向けられることのないほどの慈愛に満ちていて。
「何か良い夢でも見ているのかな? セトがこんなに穏やかな寝顔を見せるとは思わなかった」
「はぁ…では、私は神殿に向います。セトが起きましたら…」
「わかっている。神殿に行かせればいいのだな?」
「はい」
そう言って退出したマハードだが、ファラオの前から引けば、思いっきり溜息を一つついていた。
(あれでは…ファラオはセトを放しませんね。仕方がない、カリムに手伝ってもらって、祭祀を執り行うか…)



そして ――
この新年祭の間、セトが公に姿を見せることはなかった。





Fin.

よくあるパターンですが、寝てます、神官サマ。
殆ど寝顔なんて見せないから、王様も大喜び♪という感じですかね?

この後、山のような仕事に追われるカリマハです、きっと(笑)

2004.07.06.

Silverry moon light