36.断崖絶壁 (ファラオ×セト)


やっとの思いでその姿を見つけたものの、その瞬間、ユギの身体は生まれて始めて感じる恐怖に身動きができなかった。
「セトっ!」
その名を叫べば、まるで何事もなかったかのようにこちらを向いて。
しかし、
「何故貴様がここにいるのだ、ユギ?」
「何でって…」
「貴様には貴様の果たすべき責があったはずだ。ここで何をしている?」
そう静かに諭す声は耳に心地よくて。つい素直に従ってしまいそうになるほどに穏やかでさえある。
だが、
ユギがいるのは両側をほぼ垂直な岩壁に囲まれた渓谷の下層で、セトがいるのは、その断崖絶壁の上である。
しかも、一歩下がればまさに断崖絶壁から身を躍らせるようなもの。
いや少し横にずれただけでもこの高さで地面に叩きつけられれば、生身の身体など粉々に砕けてしまうに違いない。
そして、
「心配するなよ。別に命まで取ろうなんざ思ってねぇんだからな」
「そうさ。ちょっと俺たちの相手をしてくれればいいだけだぜぇ?」
そう下卑な笑みを浮かべた男達が、唯一の退路とも言えるセトの目の前に立ちふさがっていた。
おそらくは、町の札付きといった類のものだろう。
やや赤らんだ顔色から察すれば酔っているのは間違いがなく、濁った瞳の奥には、ギラギラとした好色そうな欲望が見え隠れしている。
どう見てもそれは、酒の相手だけでは済みそうにもなさそうで。
それにはセトも気が付いており、露骨に癒そうな顔をして睨んでいる。
「フン、酒の相手が欲しければ、相手を良く見て誘うことだな。貴様らの相手など、俺がすると思うか」
「ケケケ…こりゃあ、また随分と気が強いぜ。そういうのを無理やりって言うのも、一興だな」
「ああ、そうだな。おい、俺が見つけたんだ。一番に味見をするのは俺だぜぇ」
男達の数は十指に余り、どう見てもこれではセトが不利である。
しかも、ユギも手を出そうにも距離がありすぎるし、下手に動けばセトの身が危ない。
(クソっ…俺だってまだ手出ししてないって言うのに、こんなやつらに…!)
勿論そんなことはセト自身が許すはずもない。あの高貴な魂は、他人に汚されるくらいなら死を選ぶくらいは容易いことだ。
そして、
「フン、貴様らごとき下郎がこの俺を相手になどと片腹痛いわ。目にものを見せてくれるゆえ、冥土の土産にするがいいっ!」
そう高らかに宣言すると、セトはふわりと宙に身を躍らせた。
「セトっ!?」
まるで空を飛ぶ鳥のように細い身体が宙を舞う。
しかし、
「キシャーっ!」
セトの身体からその身を護るかのように光が出現すると、それは巨大な竜の姿となって咆哮をあげた。そして、
「行け、青眼! 滅びのバーストストリームっ!」
光の奔流はまるで全てを焼き尽くすかのように、男達へと襲い掛かっていった。



「ワハハハ、思い知ったか!」
青眼の背に立ち上がり高らかな笑い声を上げる姿は、まさに戦の常勝神のようで。
その足元には愚かな男達の残骸 ―― に近い姿が、累々と転がっている。
(そうだった…。セトが自ら命を絶つなんて…ありえないぜ)
たとえ負けても、死などという道に逃げるセトではない。
負けたそのときはどんなに悔しくてもそれを認め、次こそは勝つと再戦誓うのがセトの人となりだ。
ましてや、ディアハでもセメトでも、ユギ以外のものに負けるセトでも ―― ない。
おかげで、流石にその屍 ―― 生憎、まだ息はしているようだ ―― を見れば、相手が悪かったなといってやりたいユギである。尤も、自分以外の人間がセトに近づくことは許されることではないところだ。
だから、咄嗟にオシリスを呼び出していたユギは、心から安心したようにセトに微笑んだ。
「ふぅ…焦らせるなよ、セト。寿命が縮むぜ」
そうして、王宮に帰ろうぜといいかけたユギであったが、
「フン、そもそもは貴様が王宮を抜け出したりするからではないか! いっそのことこの場で引導を渡してくれるわっ!」
そういうや否や、待ちかねていたように青眼がその口をカっと開き、
「キシャーっ!!!」
ユギの身体をオシリスごと断崖の底に叩き落としていた。





Fin.

断崖絶壁…一応、「背水の陣」ですが、でも、ほら、セト様には最強のしもべがおられますから。
因みに、わざわざこんなところにワルたちをおびき寄せたのは、ただ単に、手加減ナシに暴れたかったからです。
(王都破壊は流石にヤバかろうと…)

ええ、勿論。
城を抜け出したユギを探しに行く羽目になった八つ当たりですね。
ついでに元凶抹殺?

2006.10.29.

Silverry moon light