Amnesty 01


心地よいまどろみに身を任せていた幸斗だったが、トクンと打つ自分のものではない心臓の音を感じた瞬間、ベッドの上に飛び起きていた。
「 ―― っ!」
どっといやな汗が全身に浮かび、心臓が苦しくなる。
それに耐える様にぎゅっと胸元を両手で握り締めながら、幸斗は無意識に硬く目を閉じていた。
だが、
(違う、違う…ここは…違う…)
呪文のように心の中でそう唱えながらゆっくりと目を開ければ、まず目に入ったのは半分だけ開けられたカーテンから差し込める初秋の日差し。
柔らかな木目調の、新品の家具が数点。
そして、自分が今いる白いシーツのダブルベッドには ――
「…裕司さん…」
流石に胸元のボタンを3つほどあけてはいるが、それでもシャツ風のパジャマを着こんだ裕司が仰向けに眠っていた。
左腕は丁度幸斗が眠っていたあたりに伸ばされており、腕枕をしてもらっていたのだろうということは想像に容易い。
先ほどまで聞こえていた心臓の音も、裕司のものだということも判っている。
実際に昨夜も眠りにつくまではその心臓の音が心地よくて、安心しながら目を閉じたはずだったのだ。
それなのに。
ひとたび眠りについてしまうと、どうしても次の目覚めの時には、誰かの腕の中という人の気配が悪夢を呼び起こしてしまうのだった。
体中を這いまわるおぞましい手の感触に、嬲られ汚され罵られる。
獣の姿勢であらぬ場所を晒し、男たちの薄汚い欲望を受け入れさせられて。
命じられるがままに奉仕し、ご主人様と傅き、更に自ら犯してくれと腰を振って強請って見せる。
そんな過去の全てが、今の安寧をあざ笑うかのように夢に現れては幸斗を苛んでいた。
(判ってる。あれは…夢なんかじゃない。全部本当のこと…)
そのことは裕司も知っているはずだった。
それでも、こんなに汚れきった自分を側に置いてくれるのは、
『愛してる、幸斗。お前は…俺のものだ』
金光組に連れ戻され、怪しいクスリと器具で散々に嬲られていた幸斗にそう言って助けてくれた裕司。
その時囁かれた言葉を、幸斗はしっかりと覚えていた。
勿論、自惚れてはいけないとは思っている。
つい数か月前まで金光組の秘密クラブの男娼として、数え切れないほどの男たちの相手をさせられてきたのだ。
自分がどんなに汚れて醜く、裕司には相応しくない人間であるかなど、痛いほど判っていた。
それでも ――
『そりゃ俺だって、可愛い幸斗を可愛がってやりたいとは思うが…焦ることはない。時間はたっぷりあるからな。幸斗が俺に惚れてくれるまで、無理強いはしないさ』
そう言って裕司はあれ以来、決して無理に幸斗を抱こうとはしなかった。
その代り、いつまでも悪夢に苛まれる幸斗を守るかのように優しく抱きしめてくれて ―― おかげで、夜、眠りにつくときは本当に安らかに眠れるようにはなっていたのだ。
それなのに、
(忘れてしまえればいいのに…なんで、僕は…)
安心して眠りにつける場所であるはずなのに、目を覚ますときだけはどうしても他の男の腕の中ではないかという猜疑が蘇ってしまう。
それはまだ幸斗自身がどこかで裕司を信じていない証拠のような気さえしていた。
裕司のことは、決して嫌いではないはずだ。
いやそれどころか、今の幸斗にとっては世界で誰よりも大切で ―― 大好きな人であるはず。
だが、汚れきった自分がこうして側にいることが許されて良いものかと思えば、素直に頷けないのも事実だった。
(裕司さんには、僕なんかよりももっと…)
それでなくてもみすぼらしい姿の自分とは比べようにならないほどに逞しく、大人で、格好いいと思う。
それこそ街を歩けば男も女も振り返り、誰もが羨望と憧れの視線を送ることだろう。
そんな裕司に自分などとても吊り合うとは思えなくて、
(自惚れちゃだめだ。今は…裕司さんは、優しいから僕を構ってくれているだけなんだから)
何度も「好きだ」と言われていても、どうしても信じることができない幸斗はそう自分に言い聞かせると、まだ眠っているとはいえ泣きそうになってしまう顔を裕司には見せたくなくて、そっと滑るようにベッドから抜け出した。
(せめて裕司さんに僕のできることで恩返ししないと…)
自分にできることといえば ―― 男娼だった自分だ。
裕司にならこの体を好きにしてもらっても構わないとさえ思うのだが、その反面、こんな汚れきった体など相手にしたくもないだろうという自嘲もないとは言い切れない。
それどころか、もしかしたらそれもあって裕司は幸斗を抱こうとはしないのかもしれないとさえ思えるから ―― せめてほかに役立つことをと思って。裕司のためにと、ここでできる家事を進んでやるのが今の幸斗の日課になっていた。






02


初出:2009.04.12.
改訂:2014.11.08.

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