Amnesty 02


―― パタン
ドアが静かに閉まった音を聞き取って、裕司は眼を開けた。
既に隣の温もりは遠のき、腕に残っていた重みも消えかかっている。
それを名残惜しそうに感じながら、裕司は半身を起した。
「まだ…落ち着かないか」
そんな呟きとともに無意識に零れる溜め息を誤魔化すかのように、サイドテーブルに手を伸ばし煙草に火をつける。
そして思い切り紫煙を肺に溜めると、まるで胸中の鬱屈まで吐き出すかのように大きく息を吐いた。
あれから ―― 金光組に連れ戻された幸斗が裕司に助けられてから、そろそろ二ヶ月が経とうとしていた。
ようやく梅雨も終わって夏本番が来ると思ったのも束の間、気が付けば既に秋の気配が漂う季節である。
ここ数年、日本の夏は猛暑に炎暑と言われるほどの熱を帯びていたが、その中で幸斗の心だけは酷寒の中を彷徨っていた。
それこそ目を離した瞬間に命の灯を吹き消してしまうかのように。
無理もない。薄々は自分がどんなことをして生きてきたのかを知られてはいるだろうと思ってはいたものの、実際にそれを見られてしまったのだ。
それも、淡い恋心を抱き始めていたその相手、裕司にだ。
そのため、それを知った時の幸斗はあまりのショックに思いつめて、非常に危うい精神状態になっていた。
もともと感情を表に発散するタイプではなく、胸に秘めて一人抱え込む性格ということもある。
だがそんな幸斗であるからこそ、本当に気が狂わなかったのが不思議なほどだった。
それも、
『俺にお前を守らせてくれ。お前の笑顔を見たいんだ』
そう言って裕司が片時もそばを離れなかったからこそ ―― 幸斗は命も精神も手放さずに済んだのだった。
『本当にいいんですか、僕なんかで…。僕が裕司さんの側にいても…』
そう言って震える幸斗を安心させるかのように抱きしめてやることで、なんとか安らかな眠りにつくことができる様になったのは、ここ10日ほどのことである。
だがそれも、目覚めの時には人の気配をそのまま悪夢に直結させてしまい、そのたびに裕司への申し訳なさで悔やんでいるようでもあった。
それならばと、一度、幸斗が眠っている間に裕司が離れたこともあったのだが、そうすれば今度は情け容赦のない悪夢が幸斗を苛み、半狂乱になることもあったのだった。
それこそ、裕司の存在だけが幸斗の生きる縁とでも言うほどで。
そんな風に裕司にすがりたいという思いがあるのは間違いないのに、それでも幸斗自身には裕司に愛されようと思えるだけの価値を自分に見出せないのだった。
それもこれも、穢れている自分では裕司にふさわしくないという負い目であることは間違いないようなのだが、それを癒すのは ―― ありきたりな言葉や態度だけで済むことでもなかった。
そんなものを自分は気にしないと裕司が言っても、それをそのまま受け取るほどに幸斗は強くはない。
それどころか、そう言ってもらえる優しさに付け込んでいるのではないかという思いまで浮かび、それを浅ましくさえ思うほどに幸斗の心の傷は深かった。
勿論そのことは裕司も重々承知しており、
「焦るつもりはないんだがな…」
まるで自分に言い聞かせるかのように呟くと、裕司は膝を立ててその上に肘をつき、気だるそうに紫煙をくゆらせた。
焦っても仕方がないことだということは判っていても、だからとこのまま時に身を任すのも歯痒かった。
自分を責めるあまりに心の傷を癒そうとしない幸斗は、見ているこちらの方が痛々しいくらいだ。
それが判っていながら、有効な手立てを見つけてやることも出来ず ―― ただ側にいてやることしかできない自分にも苛立ちを感じ始めていた裕司である。
それなのに、せめて裕司のために何かをしようと頑張っているところは、無理をしているとしか思えなくて。
「もっと我儘になってもいいんだがな…」
そんな言葉を呟くと、裕司は手にしていた煙草を灰皿にもみ消し、ベッドから降り立った。
そして、キッチンで朝食の準備をしているだろう幸斗を驚かせないために、わざと物音をたてながらドアを開けると、
「あ…おはようございます」
やや顔色は優れないものの柔らかな笑顔の幸斗は、朝食の準備の手を休めて振り向いた。
「ああ、おはよう。相変わらず早起きだな、幸斗」
「そんなことはないです。僕もさっき起きたばかりですから」
そう言いながらも朝食のメニューはあらかた出来上がっているようだ。
だがそのことを問い詰めるようなことはなく、
「今日も帰りはいつも通りの予定だが、何かあったら遠慮なく連絡してくれ。何か欲しいものとかあるか? 先輩に言っておいてやるが?」
流石に外に出ることには躊躇いのある幸斗のために、ほぼ毎日のように中谷が顔を出すようになっている。
勿論それには春也も一緒であり、幸斗には心強い存在である。
だが
「欲しいものなんてないです」
(ただこうして、いつまでも裕司さんの側にいられれば…)
本当に言いたい言葉だけは、いつも幸斗の心の奥でひっそりとしまい込まれていたのだった。






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初出:2009.04.15.
改訂:2014.11.08.

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