Amnesty 03


裕司が幸斗のために用意したマンションは、郊外に新しく開発された新興住宅街にあった。
この街はどちらかといえばベッドタウン的なコンセプトで開発されているため都心のような超高層マンションというものは少なく、むしろ軒数から言えばアパートや一戸建ての方が多いくらいである。
とはいえマンションが全くないというわけではないのだが、買い手のターゲットとしているのは若いファミリーになっているようで、3〜4LDKといったごく普通の間取りが殆どであった。
ただそこは最近のニーズを考慮していることもあり、自走式の駐車場は完備とかオール電化とか、そういった設備面では最新を誇るものばかりだ。
そんな中で裕司が選んだのは、それでも一番高層となる10階建てのデザイナーズマンションで、しかもその最上階のフロアを独占していたのだ。
「気にしなくていい。ウチが地主だから、融通が効くんだ」
都心の億ションと比較すれば地味な方だが、それでも一般サラリーマンではちょっと手が出せないような高級マンションである。
そのため、驚いた幸斗を安心させるためにそう言ったのも裕司であり、それは一概に嘘ではないのだが、途中経過を思い切り削除しているため、事実というにも難しいところがあった。
尤もこのマンションに関しては後ろ暗いところは全くなく、改装なども全て合法的にやっているというのは紛れもない事実である。
そして、幸斗と一緒に暮らすためにかかった金額については、その数十分の一程度しか仄めかしていないのも事実であった。
何せ軽く一世帯分はありそうなバルコニー付きの5SLDK。
サービスルームでさえ8畳は切らず、各部屋には4〜6畳のウォークインクローゼットが付いているのだから広々としたものである。
おかげで裕司が出かけてしまうと一人では持て余してしまう間取りでもあるのだが、逆に掃除をするともなればいい時間つぶしにもなっていた。
他にも、炊事、洗濯といった家事は幸斗が望んで引き受けており、
「無理はするなよ。掃除なんてしなくたって生活するには問題ないし、メシだって食べに行っても持ってこさせてもいいんだからな」
裕司はそう言って気を使ってくれていたが、肝心な幸斗の方は、そうやって裕司のために何かができるということがこの上もなく嬉しかった。
そしてその日も ―― そんなマンションのベランダで幸斗が洗濯ものを干していると、ふと風に乗って歓声が聞こえてきていた。
(子供の…声?)
ワァーっという歓声に混じって、時折、パンパンと銃声のような音や太鼓を叩く音が聞こえてくる。
その声が気になって手すりから少し身を出して見おろせば、戸建の住宅街が広がるエリアの一角に低層の建物と広いグランドが見え、そのグランドに、同じような服を着た子供と思える人影が大勢集まっているようだった。
「もしかして…学校?」
以前から何の建物だろうとは思っていたが、学校とは思っていなかったのだ。
建物も恐らくは3階建てと思われるがちょっと小洒落た造りとなっており、コンベンション施設かショッピングモールかと思っていたくらいだった。
「最近の学校って、お洒落な建物なんだな。あの感じだと、小学校…ってとこかな?」
そんなことを思いながらみていれば、どうやら何かの競技をしているようだ。赤と白の帽子で組分けされているようで、決着がつくたびに歓声が上がっているのが微笑ましい。
とはいえ、このマンションに住むようになって二ヶ月が経とうとしているが、今までに子供の声をこんな風に聞いた覚えはなかった幸斗である。
いくら自分がマンションの外には出ずに引きこもっているとはいえ、ベランダには天気さえよければ洗濯物を干す時と取り込む時とで日に二度は出ているのだから、気がつかないにも鈍感過ぎるだろうと呆れそうになったところであったが、
「…あ、そうか。夏休みだったんだ」
そう気がつけば、納得もいった。
月ごとのカレンダーをめくって新しくしたのは一昨日のことだ。
その時はただ単に月が新しくなったとしか思っていなかったが、こうして外の様子を見れば、時間は着実に流れていることを実感する。
「運動会の練習かな? この暑いのに…子供は元気だね」
グランドを駆け回る小さな影は幸斗が小学生の頃の生徒数を考えれば決して多くはない。
おそらくはまだ新設校であることと、やはり少子化が叫ばれている世相を反映しているのだろう。
だが、それでも子供の声は元気一杯で、こうして見おろしているだけでも微笑ましい気分になってくる。
幸斗自身、小学生の頃の思い出といえばやはり運動会は大きなウエイトを占めている。
あの頃はまだ両親も健在だった。
幸斗よりも早くに起きて、家族3人でも食べきれないのではと思うほどのお弁当を作ってくれた母。
幸斗以上に気合が入って、まだ陽も昇らぬうちから場所取りのためにレジャーシートを抱えて走っていた父。
そんなどこにでもありそうな、それでいて、かけがえのない思い出をふと思い起しながら、幸斗は暫くそこから動くことはなかった。






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初出:2009.04.20.
改訂:2014.11.08.

Dream Fantasy