Strategy 01


その日は、数日続いていた木枯らしも収まり、久しぶりの小春日和となっていた。
流石に初冬の空気は肌に冷たいが、室内の窓際にでもいればうたた寝をしたくなるほどの日差しである。
それにも関わらず、悟はその建物に入った瞬間から奥に進むにつれて、じわじわと体が冷えていくような気を感じていた。
自分一人であったら、すぐさま回れ右をしてこの場を後にしている。
実際に、ここに来る間も散々同行する飛島に散々ごねまくったため、予定よりかなり遅刻していた。
「やはり、多少遅れましたね」
涼しい顔をした飛島はちらりと腕時計を見た。
遅刻の原因は悟にあるのだが、それはあえて口には出さずにエレベーターのボタンを押す。
二機あるエレベーターは現在どちらも最上階付近にあり、降りてくるまでには時間がかかりそうである。
「…やっぱり、気が乗らない。帰る」
くるりと背を向けて、悟は来た道を戻ろうとする。
しかし、
「逃げるんですか?」
全く容赦のない飛島の冷たい声が、悟の癇に障った。
「何だと? もう一回言ってみろ」
「何度でも申し上げますよ。このまま逃げ続けるおつもりですか?」
今にも掴みかかりそうな勢いの悟とは対照的に、飛島の態度は動じることがない。
「いつまでも逃げているわけにも行かないでしょう? このあたりでケリをつけませんか?」
「お前…やっぱり、何か企んでるな?」
どちらも流石に声を潜めて話しているため、他の人間には何を話しているかは判らない。
特に飛島の方は相変わらずのポーカーフェイスを決め込んでいるので尚更だった。
「企むなどと、人聞きの悪い。貴方に不利になるようなことは致しませんよ?」
「ふん、どうだか…。ま、お前のことだ。俺が反対したってやるんだろ? 何をするつもりかは知らんが…」
エレベーターが到着し、中の人間を全て吐き出す。
逆に乗り込むのは悟と飛島だけで、二人は中に乗り込むと悟は奥の壁に背をもたれて腕を組み、飛島は最上階のボタンを押すとそのまま悟に背を向けていた。
やがて最上階のランプが付き、ゆっくりと扉が開く。
「貴方は貴方のままでいてください。全ては私にお任せを」
「好きにしろ。だが、無理はするなよ」
ぶっきらぼうな言い方ではあるが、悟はどこか照れくさそうな顔でそう言って目的地の扉の前に立った。



葵建設工業株式会社は、北関東にある小さな建設企業である。
30年程前に悟の祖父である高階清二が独立して作った会社で、設計から建築、不動産売買まで手広く事業を行っている。
しかし、清二は25年前に既に死亡しており、悟が社長職についたのは一昨年前のこと。
それまで実質的な経営は小柴建設工業という地元の大会社の指揮下にあり、現在も葵建設は小柴建設の子会社という立場である。
そして、表向きは建設会社であるが、小柴建設の実質は関西系暴力団小柴組の資金源であった。
葵建設と小柴建設の繋がりは、25年前に遡る。
当時、資金不足にあえいでいた清二に援助したのが小柴組組長の小柴昭二であった。
そして、まもなく清二は事故で死亡。
小柴は葵建設を手に入れる一方で、当時類稀な美貌で知られていた清二の一人娘、由美子を妾として囲った。
それが悟の母親であり、認知はされているものの籍は入れていないため悟も高階姓を名乗っていた。
小柴には当時から既に正妻がおり、その間に子供もいた。
つまり、悟には腹違いの兄、小柴昭彦がいるわけであり、現在の小柴建設の社長が昭彦である。
尤も、実質的な才腕は正妻の怜子が握っており、無論、妾腹の悟とは不仲であった。
怜子は既に五十の坂を越えている。
しかし若かりし頃には、その体で会長の小柴を篭絡し正妻の座を射止めたと言う経歴を持つだけあって、未だにその美貌に衰えはない。
むしろ、年増女の妖艶さというか、肉感的な肢体からは常に妖しい色気を放ち、男達に見せ付けていることで若さを保っているようである。
事実、組や会社の幹部を愛人としていることは殆どの関係者の知るところであり、小柴建設も小柴組も、実権は怜子の掌中にあった。
無論、実際の会長である小柴昭二は今も健在である。
しかし、そろそろ七十に手が届くという老体でありながらその好色ぶりには衰えが無く、いまや組や会社などそっちのけで女遊びに明け暮れている。当然そこは怜子にも抜かりは無く、あてがわれた女は全て怜子に言い含められた者ばかりであった。
唯一、怜子の知らぬうちに小柴が手を出した女が悟の母親である由美子だけであるが、その由美子は今年の夏、交通事故で亡くなっていた。






02


初出:2003.03.21.
改訂:2014.10.25.

Fairy Tail