Substitution 01


桜ヶ丘学園は有名私立学園と言うだけあり、二学期は9月の半ばから開始される。そのため、既に通常の生活に戻りつつある世間一般とは異なり9月といえどもまだ夏休みであった。
尤も、受験生である3年生に夏休みはないというのが激化する受験戦争の中では常識のはずだが、それも尚樹程の天才であれば全く問題はない。
志望校は赤門で有名な某国立大学の法学部であるが、余程の手抜きさえしなければ合格は間違いなしで、今更受験勉強などする必要は皆無である。
寧ろ、勉強と言う点では祐介の方が問題で ―― 。
決して頭が悪いというわけではないのだが、中学3年生である1年間、肩の手術を兼ね英国に留学していたため、若干のギャップがあるのは仕方がないことだった。
特に桜ヶ丘学園はエリート養成校でもあるため、高校1年生であるからと言ってそれだけの学力レベルでは到底着いてはいけなく、多くの学生が家では家庭教師やらについて勉強しているのは至極当然のことであった。
当然、日本の学校に慣れるまで家庭教師をという話もあったのだが、肝心の夏休み前に祐介が怪我をしてしまったため、それはいつしか立ち消えとなっていたのだが ――



「尚樹さん、ご志望は法学部なんですってね」
どうしても話がしたいという祐介の母、繭美に呼び出されて、その日、尚樹は唐沢家を訪れていた。
この家に来るのはこれで二度目 ―― 最初は怪我をした祐介を送ってきただけで中には入らなかったが、流石にこの日は奥の応接間に通されていた。
「ええ、その予定です」
「ご実家は病院でしょう? お継ぎにならないの?」
尚樹の実家は代々続いた大病院である。そのため、その質問は至極真っ当であったが、
「病院は弟が継ぐことになると思います。僕は残念ながら万民に公平にと言うのは性に合わないようで」
と言えば、傲慢と思われるのが常ではあるが ―― 尚樹が言うと、妙に納得できるのだから仕方がない。
しかも、
「あら、私も好きなことしかしない主義よ。人生短いのに、嫌なことなんかしたくないわよね?」
とフォロー(?)されては苦笑するしかないと言うもの。
「でも、法学部なら受験勉強とか大変でしょう?」
「ちょっと、母さん!」
これではまるで娘に近づく男のチェックをする母親のようで、流石にいたたまれなくなった祐介が遮った。
「あのね、尚樹先輩はすっごく頭が良くて、優秀な人なの! 今更、受験勉強なんて慌てる人じゃないんだから!」
さりげなく惚気ていると言うことは勿論気がつかない祐介である。
しかし、
「…そんなことは判ってるわよ」
しかも見かけも良くて家柄も良くて、これは我が子ながらでかしたわ♪とほくそえんでいる母でもある。
更に、
「ただね、受験勉強が忙しいから、祐ちゃんとのお付き合いも程々に〜っていうことじゃあ、うちの祐ちゃんが余りにも可愛そうだわ、って思っただけよ。別に他意はないから気にしないでね」
とニッコリと笑って云われては ――
(それって、脅迫だよ、母さん…)
と思わずにはいられないところである。
その前に自分の息子が男 ―― 同性を付き合うことには何の心配もないのかとも思うのだが、そこは物心ついた頃からそういうことにはオープンな芸能界にいる母である。好きになった人がたまたま同性だったからなんなの? と言われては ―― 応える言葉も無いというもの。
(まぁ、反対されても止める気はないが、な)
とは尚樹の決意であり、こちらの問題に関しては既にめでたくクリアされていた。
寧ろ最大の問題は ―― 寧ろ祐介の内心にあったのだった。
今まで、男女を問わず来る者は拒まずと言った感じで付き合いをしてきた尚樹である。そして、どの付き合いも1ヶ月と続いた試しはなかったが、それにも関わらず好色なイメージに取られなかったのは、誰と付き合っていてもそれが本命でないことを殆どの人間が知っていたからだった。
尚樹の心に住み続けて、誰をも寄せ付けなかったのは ―― 余りに美しい従兄の存在があったから。
本条克己 ―― 尚樹や祐介と同じ桜ヶ丘学園出身の究極の美貌をもつ青年。
その美貌は既に卒業して数年がたつというのに未だに学園1位の座から降りることはなく、不動のものとしていることからも一目瞭然である。
尚樹の克己への想いは、いつもの冷静沈着・倣岸不敵・権謀術数からは全く想像できないほどと言われるもので、あまりに公言されていたから誰もが別格に考えていたのも事実。
勿論、付き合った中には克己のことを忘れさせてやると息巻いた者もいたらしいが、誰もがその姿を実際に目の当たりにすれば適うはずがないと諦めざるを得なかった。
黒絹の髪に透けるような白皙の肌。
黒く澄んだ瞳は黒曜石のように輝き、整った鼻梁や真紅の唇は古今東西のどんな名工でも彫り上げることは不可能だと思われる。
かえってその辺の女子大生より遥かに細くて華奢な一方、なよなよした弱さは感じさせない竹のようなしなやかさを持っていて。
そして、何よりも人を惹きつけてやまないのは ―― そのあどけない仕草と人見知りをしない笑顔があるから。
まさに地上に降り立つ天使のようで、その穢れなさは幾つになっても薄れることさえないようで。
あまりにキレイすぎたため、誰もが手を出せずに愛でていた高嶺の花で。
生まれたときから一緒に過ごしてきた尚樹でさえ、告白さえできないほどの清廉さで ――
そんな中、尚樹は祐介と出会ったのだった。






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初出:2004.09.13.
改訂:2014.09.28.