降ってきた猫 1st. Photo. 01


「黒猫が前を横切ると不吉」
そんな話を俺が最初に聞いたのは、確か幼等部に入ったばかりの頃だった。
その頃の俺は、まぁ年相応に純粋だったからな。そんな迷信まがいのことでも素直に信じて、幼等部への行き帰りに ――ちょうどその道中に黒猫を飼っている家があったから ―― 黒猫に出会わないように、用心に用心を重ねてたもんさ。
そういえば一度、思いっきり道端で鉢合わせしたことがあって…そうそう、あの時はお互いまわれ右して逃げたんだっけ?
「深山君、どうして昨日は幼稚園に来なかったの?」
「だって先生、黒猫が通ったんだもんっ!」
…今じゃ笑い話にしかならない可愛い話だよな。
しかし ――
「…おいおい、あれって迷信じゃなかったのかよ」
その日、俺の目の前に現れた黒猫は前を横切ったのではなく、空から降ってきたのだった。



4月に入った途端に満開を迎えた桜の花びらが夜風に舞い落ちる中、俺は家路を急いでいた。
何せ明日は高等部の入学式。その祝いに今夜はささやかながらお祝いだと、以前からお袋がはしゃいでいたんだ。
勿論そのことは重々承知してはいた。だが今日の午後になって、前々から狙っていたレンズがやっと入ったと行きつけのカメラ屋から連絡があったものだから、まだ時間はあるなと思って出かけたのが甘かった。
初等部のクラブで写真を始めた俺は、中等部では広報委員会の委員長まで勤めた経歴を持っていた。中等部卒業のアルバムだって、大半は俺が取った写真を使っているのは言うまでもない。ちゃんと後付にも「深山潤一郎」の名前は掲載されているくらいだからな。
だから、結構ディープな世界を持つ店のオヤジとは、カメラのこととかでいつも話が盛り上がるんだ。話だけではなく、実際にかなり高級なレンズも試しにと見せてくれるし、機材も一流なものを触らせてくれる。おかげで気がついたらこの時間だぜ。
真冬の頃よりは日の沈むのが遅くなったはずなのに、既に太陽は西に姿を消して、ネオンサインと車のヘッドライトが街を明るく照らし出している。
良い子はもう、家で夕飯の一家団欒タイムというところだろう。
「ヤバイな。マジで急いで帰んないと」
一応、家にはちょっと遅れると連絡は入れておいたが、電話に出たシゲ ―― うちの家事総取締役 ―― の返事が密かに不気味だった。何せお袋の乳母だったという相手だ。お袋主催のイベントに遅刻なんて ―― 俺が主賓ということはこの場合全く関係がない ―― したら、それこそ明日から長刀で起こされるのは間違いない。
「冗談じゃない。起きるどころか永眠しちまうぜっ!」
とにかく急いで帰るしかない。
だから正規ルートの迂回コースではなく、ほぼ直線距離になる最短コースをと狙ったのも間違いだった。
そうそう、「急がば回れ」って、昔の人は本当に立派なことを言っているよな。
両サイドに怪しい飲み屋と風俗店を連ねた通りを走り抜け、俺が裏路地の中に一歩足を踏み入れたそのときだった。
「え?」
「うわっぁ…馬鹿、避けろっ!」
空から黒猫 ―― のような、アイツが降ってきたんだ。



幾ら敏捷な猫といえども、流石に空中では避けようがなかったようだ。
いや、そもそも猫じゃなかったが。
「あたた…ったく、なんてドジ…」
俺の方は全くの無事 ―― どうやらこいつの方が無理に空中で身体を捻って交わしたのだろう。流石に着地には失敗してしまったようだが、取り合えず怪我はなさそうだ。とはいえ、その失敗は俺にも責任があるかと一寸思い、
「おい…」
大丈夫か?と手を差し出そうとすれば、
「あのな、こういう狭い道に入るときは、ちゃんと上も確認してからにしろよなっ!」
思いっきりそんな無茶なことを言いながら、そいつはピシャリと俺の手を払いのけた。
見れば、全身黒尽くめといってもいい出で立ちだ。最近流行のルーズなファッションとは正反対の身体にピッタリフィットなツナギ姿は、華奢としか言えないような細い身体のラインを見せ付けている。身長は俺より若干小さく、肩幅ははるかに細いようだ。
そして、その顔は ――
(うわっ、可愛い)
ちょっと飾れば、間違いなく女の子に間違われそうな可愛い系。大きな瞳に、小ぶりの唇。いや、このままでも十分女の子で通じそう ―― 胸の無さが若干イタイ ―― だ。
だが、
「どこへ行きやがった!」
「探せっ! まだ遠くには行ってねぇはずだ!」
そんな物騒な声が聞こえ始めると、そいつは露骨に厄介きわまりないと顔をしかめた。
「チっ…しつこい連中だぜ。ったく、あのクソ親父。また面倒起こしやがって…!」
そう忌々しそうに呟いた口調は、まさしく悪ガキそのものだった。
なんていうか、顔と口調のギャップが激しくて。
一見可愛いのだが決してお飾りでは済まされない、そんな様子に面食らっていたら、
「面倒に巻き込まれたくなかったら、アンタもさっさと逃げた方がいいぜ?」
俺の存在を一応は認識してたんだなと思えるほど、ついでのように呟いた。
「え? ああ…って、なんで俺が?」
「あいつら、バカだから」
そうあっさり答えると、そいつはヒラリと隣の塀を乗り越えた。
おいおい、本気で猫じゃないかと思える身のこなしだぜ。
だって、その塀。悪いがハイジャン選手の記録並みの高さだぜ? それをいともあっさり乗り越えていくなんて、猫としか言いようが無いだろう?
そんな風に俺がその場でつい見入っていたら、
「おい、今、黒い服の野郎がいただろう!」
殺気の物騒な声の当事者達が、いつしか集団でお出ましだった。






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初出:2008.05.10.
改訂:2014.09.13.

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