降ってきた猫 1st. Photo. 03


翌日はまさに入学式日和というような快晴。本当にすがすがしい春の日だった。
だが俺の頭の中はまだ半分眠ったようにぼんやりとしていた。
昨日の出来事は、まるで映画のワンシーンのようにくっきりと鮮明に覚えている。
寧ろ家に帰ったばかりの方がぼんやりとおぼろげだったような気がするくらいだ。
「どうしたの、潤一郎さん。何かあったの?」
普段は全く世事には疎いお袋でさえ、俺の様子の不自然さには気がついたようだった。
それくらい、あの出来事は俺の中でかなりの比重を押さえていた。
突然現れた、黒猫のようなアイツ。
現れるのも突然なら、あっさりとチンピラをのした挙句、何事もなかったかのように闇に消えて行った。
それは夢か幻だったのではとさえ思えるほどだが、そうではないのは確かだった。
それというのも ―― 俺には確かな証拠が残っていたから。
そうあのとき、咄嗟に去り際のあいつの姿を、俺は手持ちのカメラに納めていた。
暗闇の中、その闇に紛れ込んでしまう寸前の黒猫の姿を。
「うん、夢…じゃなかったよなぁ?」
こういうときにデジカメってのは便利でいい。一度取ったショットも、データとして残している以上、いつでもその場で見ることができるのだから。
暗闇の中に紛れる一瞬、不意に振り返った瞬間を撮ったワンショット。
ちょっと驚いたような表情が、偶然のショットとは思えないほどにいい感じだ。
モノにしたシャッターチャンスのランキングからすれば、ここ数年でも1、2位を争うんじゃないかと思えるほどの傑作だった。
だから ―― つい、顔が緩んでいたのだろう。
「いい写真でも撮れたのか? 鼻の下が伸びてるぞ」
そんな風に茶会した台詞で声をかけてきたのは、幼等部から腐れ縁な五十嵐尚樹だった。
「流石は次期高等部広報委員長。自分の入学式にまでカメラ持参とは、抜かりが無いな」
俺と同様、今日が入学式だから真新しい制服は同じなはずなのに、初々しさの欠片もないほどに堂々としているのはその人ととなりのせいだろう。コイツほど、「新入生」という言葉が似つかわしくない1年生もいないところだ。
「そういうお前は、次期高等部生徒会長か? 早速、新入生代表で挨拶だって?」
俺の手にはあのカメラがあるが、尚樹の手には奉書というのか、なにやら白い紙を持っていた。恐らく新入生挨拶の原稿が書かれたものだろう。
こいつにありきたりの原稿なぞ必要ないところとは思うが、まぁ格好というのはどこでも必要なんだろうな。
「フン、俺以外に適任者がいないからな」
知らない奴が聞けばどこの自信過剰男だと思う台詞だが、実際にそれが現実なんだからタチが悪い。
尚樹は初等部6年で児童会長を務めて以来、中等部でも生徒会長2期を文句なしで務めたという経歴の持ち主だ。この桜ヶ丘学園はエスカレータ式のエリート校でもあるため、初等部、中等部、高等部と通う建物は変わっても、そこに進学する面子の8割に変動が無いともなれば、余程のものでもない限りこういった代表役のようなことは全て尚樹が一番に推されるのは言うまでもないことだった。
こういうところは、高等部に入って心機一転とか思いたくても思えないところが私立の欠点かもしれないな。
そんなことを何気に考えていたら、不意に尚樹は少しはにかんだような表情を見せ、
「丁度いい、あとで写真を頼むぞ」
そう言いながら早足で立ち去った。
尊大を絵に描いたようなコイツがそんな表情で向かうところといえば、案の定。アイツの美貌の従兄殿が手を振っている。
どうやら入学式に出席するために来てくれたようだな。相変わらず絵になる人だ。
「相変わらず、克己さんには態度を変える奴だよな」
まぁいい。あの克己さんとならいい被写体であることは間違いないし、売れる恩は惜しみなく売っておくのが高校生活をエンジョイする秘訣だ。
とはいえ、頼むと言いながらあれで結構注文が多いのも重々承知している。煩いギャラリーを交えずに撮るには、それなりのロケーションも必要というところだろう。
「しょうがない、式が始まるまでもう少し時間があるし、下見でもしておくか」
そう呟いて、俺は式の行われる体育館裏に向かった。こっちは人の気配も少ないし、それに一際大きな桜の木があることを知っていたんだ。
何でも学園創立当初から植えられているという古い大木で、今でこそ体育館の裏にあたるために滅多に人が来ないとはいえ見栄えは他をずば抜けて秀でている。特に夜は、学校の灯りをバックに見上げれば怖いくらいの見事さだ。
と、その時、風もないのに桜の枝が大きく揺れて、ハラハラと花びらが舞い降りてきた。
「え? 何だ?」
と見上げれば、
「うわぁっ!」
塀の上を黒い影が舞い上がり、そのまま俺めがけて舞い降りてくる。
このシチュエーションは、まさしく ――
「ったく、入学式早々、土がつくなんて冗談じゃねぇってのに…」
そう言って真新しい制服のについた土を払っていたのは、昨日の黒猫のようなアイツだった。






to be continued.




02


初出:2008.05.10.
改訂:2014.09.13.

Fairy Tail