砂塵の華 序章


「其の方の言い分は良く判った」
豪奢なカウチに身を横たえていたエリアータはそう応えると、ゆっくりと身を起こした。
「兄上の御気性は私もよく存じておる。そなたの言うことで間違いはないのであろうな」
サラサラとした衣擦れの音とともに、かぐわしい匂いが鼻をくすぐる。
血生臭い話をしていたはずであったのに、その瞬間、この場はまるで宴の席のような華やかさに満ちていた。
流石にこの場に来る前に手に着いていた血を落とし、服も着替えて来ている。
しかし、夜風と共に窓の外からは兵士達の興奮した声が流れ込んでいるし、扉の向こうでは、血刀を提げた兵士達が取り囲んでいることも気付かれているはずである。
それでもこの部屋だけは別世界の様に穏やかだった。
「エリアータ様…」
どんな状況でも取り乱すことはなく、神々しい迄に美しい姫君。
傾国 ―― といっても、その色香に狂ったのは王ではなく家臣の方であったが ―― の美姫に対し、ドリグシュは恭しく跪いて手を差し伸べた。
どれ程この時を待ち望んだことか知れない。
漸くこの姫を我が物にできる ―― と思ったのは、ごく自然なことのはずだった。
ところが、
「だが…そうじゃと申して、そなたの行動は謀反以外の何物でもないな」
差し出された手には見向きもせず、エリアータはカウチの後ろにあった剣を取るとそのままふわりと立ちあがった。
特に構えたわけでもない、ただ持っているというだけの様子ではあるが ―― そこには一分の隙も見当たらなかった。
元々エリアータは戦姫としても名が知れていた。
だからこそ部屋の外とは言え兵士に囲ませたのだ。
とは言え、聡明な姫のこと。この状況であれば歯向かうこともあるまいと思っていたドリグシュである。
しかし、
「国を思えば、兄上の暴挙を止めなくてはならなかったというのも判ろう。そして兄上はあの御気性。家臣から意見などされれば、その者の命などその場で絶たれるのは必定でもあろうな」
そう告げるエリアータの声には、全く憂いている様子などない。
それどころか、どこか楽しんでいるようにさえ見えたのは、ドリグシュの気のせいではないようだった。
「しかし、だからと言って甘言で欺いての暗殺などとは。かつては狂戦士と言われたバーディアの民も堕ちたものじゃ」
そう皮肉っぽく笑みを浮かべると、そのまま身を翻して窓の側に立ち止まった。
「まぁ、既に亡くなった兄上の命はとやかく言うても仕方あるまい。この国の命運等には興味もない。だが、妾まで手に入ると思ったら間違いぞ」
そう言って極上の笑みを浮かべると、窓の枠に足をかけた。
「エリアータ様!?」
窓のすぐ下は断崖絶壁で、バドリシア川の支流であるサーム川が流れている。
支流とはいえ水量の多い川であるため、砂漠の国であるバーディアにとっては貴重な水資源でもあるが、一方で水難事故は毎年絶えることがないという暴れ川でもある。
当然、ここから飛び降りたりすればただでは済まないはずであるが、
「お前には一つ感謝をせねばならぬかもしれぬな。妾はこの城で退屈していたところじゃった。お前の謀反のおかげで、王妹という枷もなくなった。これからは好きにさせてもらうぞ」
心から楽しそうにそう宣告すると、エリアータは天空に輝く白い月に祈りを捧げた。
「闇夜を支配する白き月よ。自由を引き換えに、汝にわが身を捧げよう」
そうして高らかな笑い声とともに、窓の外へ身を躍らせた。



それから、20年の月日が流れる ――






01


初出:2009.09.20.
改訂:2014.08.30.

Silverry moon light