砂塵の華 第1章 01話


―― ドン!
右肩に不意の衝撃を感じて態勢を崩しかけたと思うと同時に
ガシャーッン
派手に何かが割れる音がして、ナーガは振り返った。
見れば一人の大男がこちらを睨んでいる。その足元には、粉々に壊れた陶器の破片が散らばっていた。
「おいおい、冗談じゃないぜ。どうしてくれるんだよ!」
いきなり浴びせられた罵声に、余り動じないナーガも言葉を失う。
しかも、
「おい、どうした?」
「ああ、聞いてくれよ。こいつが俺にぶつかってきて…」
「うわぁ、こりゃ酷いな」
「大事な商売物だろう? どうするんだ?」
何処からともなく集まった男たちは、まるで回りの人間にも宣伝するかのような大声でそんな話を始めていた。
確かに、ナーガがその男と接触したのは事実である。
そしてその男が持っていた壺が落ちて割れたことも。
しかし、避けようと逸れたはずを追うようにぶつかってこられたという方が正しく、しかもしっかりと持っていれば落ちて割れるなどということもなかったはずだ。
更には、
「…またあいつらが…」
「今度は幾らたかる気か…」
遠巻きに見ている者たちの中からは、汚いものでも見るような嫌悪の視線とひそひそとしながらも非難めいた声がちらほらと上がっていた。
そんな周りの様子に、男達も気がついたようで、
「…まぁ、ここじゃあなんだ。ちょっと顔貸してもらうぜ」
そう言うとナーガを逃がすまいとでもするように取り囲み、路地裏へと連れ込んだ。



バーディア国の首都サイスは、アーティクル大陸の数多い都市の中で尤も華やかな街であった。
大陸最大の港町アムリから最初のオアシスでもあり、多くの商品がここから隣国であるソカリスやウィスタリアへと向かうことになる一方で、ソカリスやウィスタリアの商品も一度ここに集まってから他国へと売買されていくため、集まる人間も様々な人種が入り混じり、とても国際色の高いオアシスを形成していた。
勿論、華やかな反面、影となる場所も存在する。
街の作りは中心に高い城壁に囲まれた王宮が存在し、それを取り巻くように市や商家が立ち並んでいる。
当然、街の中心に近い程大きな商家が多く、外れていくほどに質素になっていた。
特に外郭の外側は夢や希望を抱いてこの街に来たものの、結局落ちぶれてしまった者たちが集まるスラムとなっていたのだった。



「…成程、これがスラムというところか」
話では聞いていたが、実際に目にするのは初めての光景に、ナーガはそう呟くしかできなかった。
顔を歪めずにはいられない臭気と汚物や残飯の積まれた路地裏。
生気の欠けたうつろな目とモノのように道端に転がされた身体。
物陰から隠れて見ている子供達は、皆、ボロボロぼ粗末な布を纏っているという感じで、中には怪我をしたりその身体の一部が欠損している者もいるようだった。
まさに、この世の履き溜めというのにも相応しい ――
毒舌と冷笑癖のあるトリュスの言うことであるから多少は大げさに言っているのだろうと聞いて来たナーガだったか、それが決して誇張ではなく、それどころかここまで劣悪な環境とは思っていなかったのだった。
今まで自分が生活してきた場所がどんなに恵まれた状態だったのか、まさに後頭部を殴られるようなショックでもあった。
そのため、
「あんたが壊した壺は、大事な売り物だったんだぜ。どうしてくれるんだ?」
明らかな言いがかりとは思ったが、この状況を見れば考えてしまう。
もしかしたらこの男の言っていることは真実で、この男の持ち帰る金を待っている家族がいるのかもしれないと。
そう考えてしまうと、ナーガには躊躇う理由もなかった。
「生憎、金の持ち合わせはないのだが、代わりにこれでなんとかならないだろうか?」
そう言ってナーガが男に差出したのは、緑玉のちりばめられた腕輪だった。
「え?」
驚いたのは、言いがかりを付けてきた男達の方である。
渡された腕輪は一目見ただけでも高価な物だと知れる造りの品で、叩き売りしても裕に一月は食うにも困らないだろう。
しかも、余りにも高価な物を手にして咄嗟に言葉を失った男達を、ナーガはこれでは足りないと思ったらしい。
「それだけでは足りないだろうか? では…」
そういうや否や、フードを外し、金の耳飾りを外した。
「これで、足りるか?」
そう言われてよく見れば、今迄フードに隠れていて気が付かなかったが、ナーガの身なりはそこいらの裕福な商人でも及ばないような高級品で飾られていた。
商人というよりは貴族、それもかなり裕福な家柄を思わせる装飾品である。
男達の勝手な想像では地方の貴族の箱入り息子と言ったところでは?とでもいうところだろうか。
そう推測すれば、欲が出てくるのは必定というものである。
「そ、そうだなぁ、いや、未だ足りないかも…」
試しにそんなことを言ってみれば、どうやらナーガは真に受けたらしい。
腕を首の後ろに回すと、金の首飾りまで外しだした。
ところが、
「この程度の壺に払う金なんかないだろ?」
いつの間にか現れた小柄な人物が、その場の空気を一掃した。






序章 / 02


初出:2009.09.20.
改訂:2014.08.30.

Silverry moon light