砂塵の華 第1章 10話


すっかり夜陰に包まれた小さなオアシスでは、酔いに任せた兵達の騒ぎ声が続いていた。
そんな中で、
「これは…見事な舞いだ。王都でもここまで見事な舞いは中々ありますまい」
「ああ、そうだな」
行きがかり上、そのままそこにいてしまうことになったナーガとリューイの前では、旅の舞姫が見事な踊りを披露していた。
顔はベールによって隠されているために判らなくとも、唯一晒された蒼い瞳は見つめられれば吸い込まれてしまいそうなほどに蠱惑的で、時折ゾクリとするほどの色っぽさで兵士たちの間を彷徨っている。
それが自分の方に向けられるたびに、酔いに染まった男達の表情には下卑た色が浮かび、中には露骨に舌舐めずりする者もいるくらいだった。
ここ数日の行軍では、全く女気のなかった軍である。そこに突然現れたこの舞姫の存在は、まさに虫を誘う花のような誘惑に満ちていた。
そんな中で、
「…」
ナーガだけは酒を飲むでもなく、ただその舞姫の一挙一動を見ているだけだった。
胸の膨らみは恐らく詰め物でもしているのだろうとは思うが、女のように細い腰といい魅惑的な視線といい、この姿であれば男と思う者はいないだろうと頷ける。
しなやかな動きといい、常に兵達からは一定の距離を保つ間の持ちようも、見方を変えれば一部の隙もないものといっても過言ではなかった。
そう、この中で ―― ナーガだけはこの舞姫が実は男であるということを知っていた。
名前はカディル。先日、サイスの街で出会った美貌の青年であることは間違いない。
『機会があれば再会もできよう。それまで、ご健勝でおられるがよい』
そう言って別れたのはつい先日であるが、まさかこのような形で再会するなど誰が想像しただろうか。
否、それよりも、
「…どういうことなのだ?」
カディルと会ったのは王都サイスである。彼がサイスに住んでいると聞いたわけではないが、それでもこんな国境付近での再会など偶然では片付けられるものではなかった。
ましてやこのような女 ―― それも旅の舞姫の格好で等と、何か巧みがあるのではないかと邪推してしまうのは当然のところだ。
(一体、何を考えて…)
そう不信を持って見ていても、カディルの舞の素晴らしさは確かに目を見張るものだった。
決して付け焼刃ではないことは確かで、女の格好などしなくても見る者を虜にするだけの技量は十分だと思えた。
やがて音楽は静かに幕を引き、カディルの舞も終了した。
その瞬間、自然と見ていた者達の中から喝采の声が上がったのは言うまでもない。
それに応えるように一礼をしたカディルはチラリとナーガの方を見て、酒を注ぐような素振りでこちらに来ようとしていた。
しかし、
「こっちへ来い、女」
それをギラギラとねめつける様な視線で見続けていたウルナンが半ば酔いかけた声で呼びとめた。
「お前に俺の伽を申しつけてやろう。場合によっては王都に連れ帰ってやってもよいぞ」
その余りに露骨ないいように辺りはシンと静まり返ったが、カディルはベールの奥の表情を隠したまま、恭しく答えた。
「恐れながら、妾は舞姫故に報酬によって舞を披露いたしました。我が身を差しだせとの仰せであれば、それなりの代価を頂きたく…」
「ほう、面白い。いくらで売る?」
「それでは…ここにいる5000の兵の命と引き換えにでもいたしましょうか?」
と言うや否や、カディルは腰の辺りに隠し持っていた小さな袋を篝火の中に投げ込んだ。
其の袋の中には何か粉のようなものが入っていたようだ。
炎に焼かれると途端に怪しげな色のついた煙を吐き出し、それは真っ直ぐに夜空へと立ちあがった。
「貴様、何をするか!」
「黙れ、下種。貴様ごときがこの私を口説くとは100年早いわっ!」
流石に驚きは一瞬ですぐさま近くにあった剣を引き抜き振りかざしてきたウルナンであったが、カディルはそれをなんなく交わすと、態勢を崩したウルナンの手から逆に剣を奪い取り、そのまま地面に叩き伏せて仰向けになった喉元に付きつけた。
ウルナンが油断していたのは事実でもあるが、カディルの動きはそれ以上に敏速で無駄がない。
「この程度の者が1000の兵を率いるとは片腹痛い。余程、国軍には人材がないと見えるな。まぁ仕方がないか、所詮はソカリスの拝金主義者どもの衆であるからな」
そう言って高らかに嘲笑を浮かべると、カディルは顔を覆っていたベールを外した。
そこに現れたのは、剣先を突き付けられているウルナンですら身の危険を忘れるほどの美貌で。回りを取り囲もうとした兵士達も余りの美しさに息を飲み、動きを止めてしまった。
その中で、
「その顔…まさか、お前はっ!?」
そう低く呟いたのは ―― 騒ぎを聞きつけたグルゴン老である。
その昔、まだ老がソカリスの軍人であった頃に、何度か刃を交わした相手。
『バーディアの戦姫』と呼ばれ、兄王とともに戦場では最も恐れられた美貌の鬼姫と瓜二つで ――
(そんなはずはない。あの鬼姫は死んだと聞いている。それに、仮に生きていたとしても、あれから20年以上になるのだ。こんなに若いはずはない…)
だが、見れば見るほどに瓜二つとしか思えなく、グルゴン老は息子が捕らわれていることも忘れてしまったかのようにただカディルの顔を見るしかできなかった。
その一方で、
「ほう、貴様、この顔に見覚えがあるか。ならば話は早いな。王都に戻って国王と名乗っている輩に伝えてやるがよい」
カディルの方はグルゴン老の驚きも計算内だったようで、ニヤリと不敵に笑うと鈴のような声で宣言した。
「我が名はカディル。イースの族長ヨシュアの弟。バーディアに巣食う、ソカリスの寄生虫どもに宣戦布告を申し上げる。命が惜しければ、即刻ソカリスへ逃げ帰れ。バーディアに残れば我が刃の錆にしてくれようぞ」
その瞬間、イースをはじめとするバーディアの民とソカリスの息のかかった国軍との間に戦の火蓋が切って落とされたのだった。






to be continued.





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初出:2009.10.18.
改訂:2014.08.30.

Silverry moon light