砂塵の華 第1章 09話


ナーガが姿を見せると流石に他の将官たちは口を閉じたが、一番の上座に腰をおろしていたウルナンは傾けた酒杯を置いただけで立ち上がろうともしなかった。
それどころか、
「これはナーガ様。今、人を使わして御招きしようと思っていたところでございます」
そうしゃあしゃあと言いのける豪胆さだけは父親譲りというところのようだ。
5000を超える兵であるため、それらは幾つかの小隊に分けられて更にそれを中隊、大隊が統括するという仕組みになっている。
ウルナンが率いているのもそうした1000人ほどの兵数であるが、そのうちの幹部と思える10名ほどがウルナンを囲んで酒宴を開いていたのだった。
「ウルナン殿。これはどういうことですか。説明を願いたいのですが?」
仮にもナーガは一国の王子であり、更にはこの軍においても総指揮官になる。
ウルナンは勿論、グルゴン老に対してももっと高圧的に対しても許されるところのはずだったが、相手が年上であるということと自分が未熟であるということを自覚しているナーガである。
どうしても遠慮がちになってしまうのは仕方がなかった。
そんなナーガを常日頃から内心では見下しているウルナンである。
酒が入れば普段は隠し通せていた鬱憤もそうはいかないようだった。
「見ての通りの羽休めですよ。漸く着くというのに肝心のガラルでは休めそうにないので、ここで英気を養おうということです」
ここまでの道のりは強行軍というほどではなかったが、それでも必要以上の休みはいれずの行程であった。
どうやらウルナンはそういった軍律にも反感があったようで、ここにきてそれが限界に達したようだ。
元々今回の遠征もイース討伐と合わせてガラルの現状確認というものが目的でもある。
重要な関所でもあるガラルを抑えられなければ、バーディアに住むソカリスの者達が孤立するのは眼に見えているのだ。
しかし、ウルナンにはその危険性が判っていないようだった。
「英気を養おうというのは判りますが、酒宴というのはいかがですか。油断は禁物と思いますが」
「何、ちゃんと見張りは立てております。何かあればすぐに知らせが参りましょう」
勿論、何かなどあるはずもないでしょうがと高笑いをするウルナンである。
確かに、宴の外側では幾人かの兵士達が見張りを務めてはいる。
だが、肝心の将官達が好き勝手をやっていることを知っている兵士達が何とも思わないとでもいうのだろうか。
英気を養うというのであれば、まずは一介の兵士達にこそ休みを取らせるべきである。
だから、
「ウルナン殿。それならば、かの兵士たちにこそ休みをとらせてはいかがか? 実際に動く者達にこそ英気を養う必要があると思いますが?」
「これはこれはナーガ殿下は御優しいことだ。平民どもに休ませて、我ら貴族に見張りをせよと仰せになられるか。バーディアの民は一族皆同じ食事をしたと聞くが、やはりお血筋ですかな」
流石にそれは不敬にも当たりかねない暴言であったが、そのことに気が付いていないのは言い放ったウルナンだけである。
他の同席していた将官達もさっと顔色をかえてこの二人の様子を見守っていたが、激高したのはナーガの傍に控えていたリューイだけであった。
「聞き捨てなりませんぞ、ウルナン殿! 殿下に対して無礼でございましょう!」
「煩い! 侍従の分際で生意気な!」
酔った勢いというのは恐ろしいもので、ウルナンはそう怒鳴ると持っていた酒杯をリューイに投げつけた。
そこまでされればリューイとて黙ってはいられない。咄嗟に腰の剣に手を伸ばしかけたが、
「止めよ、リューイ。諍いは起こすな」
「しかし、殿下っ…!」
リューイの怒気も判るがここで内紛を起こすわけにもいかない。
ナーガはなんとかこの場を治めようとしたが、こちらの思惑をウルナンは逆手にとるような態度を見せていた。
元々、ソカリスの者はバーディアを野蛮で見下す傾向がある。
特に生粋の貴族でもあるウルナンにして見れば、混血であるナーガもリューイも目障りでしかなかった。
その鬱憤を戦で晴らそうとして無理に今回の出兵に割り込んだというのに、肝心のイースはおろか、各オアシスにはバーディアの民すら見当たらず、憂さ晴らしもできないできているのだ。
それならばと酒でも飲もうとすればうるさく言われるしで、嫌気を差すなという方が無理というものだろう。
流石にナーガには手出しはできないが、リューイならなんとでも言える。
酔いに任せてそんな危険な考えを巡らせていると、不意に宴の一画から騒めきが上がった。
「お待たせ致しました。舞姫の準備ができました」
そう言って現れた旅芸人風の男の後ろには、薄絹に身を包んだうら若い女の姿があった。
薄いベールで全身を覆っているが、その透けるベールの下はふくよかな胸と細い腰を強調した魅惑的な衣装である。両手両足に幾つものブレスレットやアンクレットを付けているために、一つ動作をするたびにシャラシャラと鈴のような音が聞こえていた。
実は、このオアシスには他の部隊よりも一足先にウルナン達が到着していたのだが、その際に出会ったのがこの旅の二人であった。
男の方からは「ガラルで興業しようと思っていたが戦禍の跡でそれどころではなく、仕方がなく次のオアシスに向おうとしている」と聞いたためにそのままそれを斥候からの報告としていたのである。
しかもここまで女っ気もなくやってきたのだ。あわよくばと下心が芽生えたのは言うまでもない。
そんなウルナンの思惑を知っているのか、
「お招き頂き、ありがとうございます。拙い舞いにございますが、お楽しみ下されば幸い…」
舞姫はそう言って優雅に一礼すると、パン!と手を叩いた。
それを合図に、先程挨拶を述べた男が笛を吹き始め ―― 舞姫はその場に立ちすくんでいたナーガの手を取った。
「どうぞお座り下さいませ、バーディア国第一王子ナーガ殿」
その言い回しにハッとしてナーガが舞姫を見ると、ベールの隙間からのぞく蒼い瞳を悪戯っぽく見せながらナーガにだけしか聞こえない声で囁いた。
「全く、いつまでも甘い男だな。そんなことだからこの程度の奴につけ上がられるのだぞ」
それはあのサイスの街で出会ったカディル ―― その人に間違いなかった。






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初出:2009.10.18.
改訂:2014.08.30.

Silverry moon light