視線 01


言われたとおりに王宮の一室 ―― 謁見控えの間に足を踏み入れると、一瞬にしてその場の視線が自分に向けられ、辺りが水を打ったような静けさに覆われた。
しかし、セトにとってはこんなことは別に珍しくもない。
混血の進んだエジプトではあるが、自分の白皙碧眼が珍しいものであることは重々承知している。
このお陰でどこに行っても人目を引くのは仕方のないことであり、その一方で、誰もがその外見に惑わされて本質を見ようとしないのもよくあることだ。
そもそも外見でしか人を判断できないのは、その人物が矮小であるという証拠のような物と思っているし。
だから、
「アクナディン様よりこちらで控えているようにと命を受けた、セトと申します」
取次ぎの役人にそう告げたときだけは殊勝に愛想笑いなども見せたが、それ以降は周りとは明らかに壁を作って取り付く隙も見せなかった。
そうして待つこと、約1時間。
「セト殿、どうぞ」
取り次ぎ役の従者に名前を呼ばれて、セトは大広間へ足を踏み入れた。



開け閉めするにも大の男が数人がかりは必要かと思わせる大きな扉の向こうは、両脇に護衛の兵士や王宮の重鎮を並べた通路が玉座まで真直ぐに伸びている。
その目的地を目指して、セトは毅然と歩みを進めた。
これだけの人の中を進むと言うのは、普通、大人でも身が竦むものである。
特に入り口付近は武器を携えた兵士 ―― 奥に向うほど身分の高い神官や官僚になっている ―― であり、誰もが新しく現れた者の本質を見定めようと、鋭い視線で見ていることは間違いがない。
しかし、
「セト、こちらへ」
「はい」
玉座のすぐ脇に控えていたアクナディンが手招きをし、セトを呼ぶ。それに応えて玉座の前で膝を着き、頭を垂れた。
「このたび、神官見習いとして我が『石板の神殿』に召すこととなりましたセトでございます。まだ若輩ではありますが、ファラオへの謁見をお許し頂き、光栄に存じます」
そうファラオに言上するアクナディンの声がセトの耳にも届く。
「うむ、確かに若いな。だが、我が弟アクナディンの目に適うとは、稀に見る優秀と聞く」
このエジプトにとって、ファラオは絶対の存在だ。
しかも現ファラオはヒクソスからの侵略を退けた、歴代でも英雄と呼ばれるアクナムカノン王。ここ数年は病に冒されていると聞いていたが、そのオーラは流石と言うべきだった。
「若い力は国の宝でございますわ、ファラオ」
「うむ。誠にその通りだな」
玉座に最も近い場所に控えているのは、並み居る神官の中でも最高級の地位にある『六神官』たち。その中でも紅一点であるアイシスがニコニコと喜ばしそうにファラオに言上すれば、他の神官たちも是を唱えるように頷いていた。
ただし、すぐ側でありながら、頭を垂れているセトには判りかねるとこである。
だが、
「王子とも年が近いと言うこともありますし。本当に将来が楽しみですこと」
そう軽やかな微笑を湛えて言上するアイシスの声には、少なくとも敵意は感じられなかった。
寧ろ、
「おお、そうであった」
どこか食い入るようにセトを視ていたアクナムカノン王だが、アイシスの言葉に思い出したように手を叩くと、玉座の後に控えていた者を呼び寄せた。
「面を上げよ、セト」
「はっ…」
決して無礼には取られないように、セトはやや伏せ目勝ちながらも顔を上げた。
そして、
「我が王子のユギだ。王子が我が跡を継ぐときは、そなたが右腕となって益々このエジプトを繁栄に導いてくれることを願うぞ」
そう言って紹介された少年は、確かに先日、『石版の神殿』に忍び込んできたあのときの少年。
燃えるような紅い髪に燃えるような紅い瞳。その奥に不敵な笑みが浮かんでいるのは ―― いうまでもない。
(フン…やはり王子だったか…)
ここであのときの無礼を暴露されれば、未だ神官見習いでしかないセトには不利であるのは確かだ。
だが、
「勿体無きお言葉。有り難く頂戴いたします」
そう恭しく答えると、王子の存在など気にも止まらなかったように礼だけを述べていた。






視線 02


初出:2006.07.09.