視線 02


その日もいつものように朝帰りをして王宮に戻ると、まるで待っていたかのようにシモンがやってきて、
「本日の朝の謁見には、王子もご出席されよと父王のご命令でございます」
そう言うや否や、問答無用で謁見の間に引きずり出されたユギは、面白くもなさそうにただ時間が過ぎることだけを願っていた。
当然、そんな態度だから、
(ふぁあ〜。流石に眠いぜ…)
誰がどう見たって不真面目なことは見え透いている。おかげで、
「王子、もう少しシャキッとしてくだされ〜」
目付け役のシモンにしてみれば、仮にも次期ファラオとなる王子である。
他国の使者達の来訪の目的の一つに、次期ファラオとなるべくユギがどういう人物なのかを見極めるということも入っているということは判っているから、ここは立派な王子ということを見せ付けてやって欲しいところなのだが、
「そうは言うけどな、夕べは殆ど寝てないんだぜ」
そう答える合間にも、ユギの口からは欠伸が絶える事はない。
「全く、夜遊びも大概になされませ。そんなことでは…」
「あ〜判ったって。小言なら後にしてくれ」
ヒラヒラと手を振りながらそう答えるが、その態度から、反省しているとは思えるわけもない。
実際に、
(チッ…今頃、マハードのヤツは安眠を貪ってるんだろうな)
幾ら王宮勤めが決まったとはいえ、マハードはまだユギの単なる側近に過ぎない。そのため謁見の席に出る必要もないから、ユギに付き合わされて夜遊びに借り出されても、今頃はしっかり睡眠不足を解消している頃だろう。
それを不公平に思うのはお門違いと言うものなのだが、
「大体、何で今日に限って、なんでオレまで謁見に出なきゃいけないんだ?」
一応ユギがいるのは現ファラオである父王の玉座の後ろである。
周りには六神官を初めとする文官や武官もいるため、少々の愚痴を呟いても謁見を求めてやってきた使者たちにまでは聞こえることはない。
だが、
「今日に限ってではございません。王子は次期ファラオとなられるのですぞ。本来は毎朝出ていただくのが当然でございます」
本当はもっと懇々と説教をしたいところだが流石にこの場では拙かろうと、シモンの口調も極力控えめではある。
だがそれを良いことに、
「毎朝? 冗談だろ? それじゃあ、寝不足で倒れちまうぜ」
そう言いながら、密かに脱出の機会を伺っていた。
ところが、
「…それではファラオ、よろしいでしょうか?」
ふと玉座の隣にいたアクナディンがそう言って案内の文官になにやら命令すると、この日最後の謁見者が姿を現した。
その瞬間、ざわめいていた謁見の間は水を打ったような静けさに支配され、ユギも何事かとそちらを見た。
(あれは ―― !)
たった一度だけしか逢ったことはなかったが、絶対に見間違えるはずもない。
溢れるほどの文官や武官、各国の使者が控える中を、全く臆することなくまっすぐ前だけを見て近づく姿。
それは外交には慣れたはずの各国の使者達ですら及ばないほどの堂々とした足どりで、とても一介の少年には思えず、まるでどこか大国の王族か貴族の子弟のような気高さである。
いや、目を引くのはなにもその態度だけではなくて。
この灼熱のエジプトにおいては白い肌は高貴な証と言われており、王族や貴族の姫君は幼い頃から肌を焼く陽を避けて過ごしているのだが、そんな姫君たちでさえ足元にも及ばないような白い肌の持ち主で。
更には、砂漠の民が恋焦がれると言う蒼い瞳が、名だたる宝玉よりも高貴な輝きを放っていて。
「このたび、神官見習いとして『石板の神殿』に召すこととなりましたセトでございます。まだ若輩ではありますが、ファラオへの謁見をお許し頂き、光栄に存じます」
そう告げるアクナディンの紹介の間、かの人は玉座の前で膝を屈して頭を下げていたが、そんなことをさせるのも間違いのような気さえしてくる気高さである。
しかも、
「王子とも年が近いと言うこともありますし。本当に将来が楽しみですこと」
図らずもアイシスがそんなことを言えば、どこか食い入るようにセトを視ていた父王がアイシスの言葉に思い出したように後ろを振り向き、ユギを手招いた。
最早、眠いなどと言っている場合ではない。
(どこか変なところは…大丈夫だよな?)
今更身だしなみなど気にしても遅いのだが、絶対に無様なところだけは見せられない。
だから、
「我が息子のユギだ。王子が我が跡を継ぐときは、そなたが右腕となって益々このエジプトを繁栄に導いてくれることを願うぞ」
そう父王の言う言葉など全く耳に入らず、ただ自分の目の前にいるセトの姿だけをユギは見ていた。
柔らかそうな栗色の髪に、比類ない蒼穹の瞳。白い肌はセリカの国の白磁よりも透き通り、まさにこの世の奇跡のような姿である。
(あの時だって稀に見る美人だと思ったが…反則だぜ、これは)
今まで、何人となく高貴な姫君にも紹介された事はあったが、そんなものなど霞のように消え去ってしまいそうだ。
ところが、
「勿体無きお言葉。有り難く頂戴いたします」
そう表向きは恭しく、しかしユギのことなど全く気にも留めないようにセトは答えていた。






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初出:2006.08.06.