視線 03


謁見の時間が終わって父王が退出すると、ユギはすぐにでもセトに声をかけようと玉座から降りようとした。
しかし、
「王子、今日はこのあと、政務の方もいくつか見ていただきますからな」
「…って、おい、まだオレにやらせるつもりか?」
「当然でございましょう。ああ、マハードにも王子の政務を説明しますから、こちらに来るように言っておりますぞ」
そんな事を言うシモンに捕まってしまっていた。
すると、
「セト、私はまだファラオのお側にあって幾つかの仕事をせねばならぬ」
そう言って先にセトに声をかけたのは、後見人とも言えるアクナディンであった。
それは、当然といえば当然のことなのだが、
「はい、判っております、アクナディン様。私は神殿に戻っておりますので、どうぞお気遣いなされませぬよう」
そう答えるセトもよほどアクナディンを信頼しているのか、思わず見入ってしまいそうなほどに柔らかい微笑を浮かべていて ―― それはまるでこの前とは別人ではないかとさえ思えるほどだ。
実際に、同じく拝謁に来ていた他国の大使や警備の衛兵なども、思わず見とれてしまっているほどである。
「では、書庫への立ち入りは許可するゆえ、好きに読んで構わぬからな」
「はい、ありがとうございます」
そうやって気使いするアクナディンもどことなく自分や他の神官に対するときとは比べようにないほどに温和に見えるのだが、それ以上に恭しく頭を下げるセトの方が最初に逢った冷たさなど微塵もないものだから、無性に腹立だしく思えてしまう。
しかも ―― アクナディンが先に退出したファラオの後を追うように出て行くとその姿を見送ったセトは、一瞬ユギとも眼が合ったはずなのに気にも留めないようにさっさと踵を返してしまった。
ところが、
「すみませんっ! 遅くなり…え? あ、セト!」
丁度謁見の間から出て行こうとしたセトにぶつかりそうな勢いで、マハードが飛び込んできた。
どうやら寝起きの所を慌ててきたらしい。そのために事情が掴めていないようで、
「ええっ! どうしてセトが王宮に…? あ、もしかして、セトも、王子の学友に選ばれたんですか?」
そんなことを聞くものだから、セトも途端に険しい表情になり ―― 先程までの装った表情は一瞬にして消え去った。
「貴様…フン、冗談ではないわ。そんなはずがなかろうが」
今までの取り澄ました声とは明らかに異なるが ―― 始めて出逢ったときに交わした口調により近い。
だが、流石に捉え方によっては不敬罪にもなりかねないので、聞こえたのはほんのごく一部の者だけだったはずだ。
しかし、ユギにはそれだけでも十分で。
「え? じゃあ…どうしたんですか? 何かあったんですか?」
「俺は神官見習いとして『石版の神殿』に仕えることになった。今日はそのことでファラオの謁見を許されたのだ」
ユギには眼も合わせようとはしなかったはずなのに、マハードには目をあわせるどころかしっかり説明までしてやってる。多少煩そうにも見えなくはないが、それでもユギとは確実に態度が違うと思えるところだ。
「ええっ! ということはアクナディン様のお弟子ですか? 凄いですねっ! やっぱり、流石セトですねっ!」
セト本人にとっては、本来の望みからすればそれは単なる通過点でしかないものではある。だがそう絶賛されれば、流石に嫌な気はしないものだ。
そのため、少し気をよくして、
「フン、貴様とて王子の側に仕えておるのだろう?」
そう聞いてやれば、マハードは思い出したかのように苦笑を浮かべた。
「ええ、まぁ…でもね、大変なんですよ。昨夜も王子と遅くまで城下の見回りだったし…。遊興の場所ばかりを見学されようとするので、大事にならないかとハラハラしどうしなんですよ〜」
おかげで今日は眠くってと、少し眠そうにそんなことをいうマハードだが、
(あの馬鹿! そんなこと言ったら…!)
近づくに近づけないでいたユギにとっては、ヤバイことこの上ない。
案の定、
「見回り? 貴様、それは単に抜け出して、夜遊びしていたということではないのか?」
「ええっ !? そんなこと…いや、やっぱり、そうなんでしょうか?」
どうやらユギに上手く言いくるめられていたらしく、セトに言われるまで気がつかなかったということもマハードらしいといえばそれまでだ。
だが、
「まぁ、貴様には似合いの任務だ。精々、精進することだな」
そう言ってチラリとユギの方を見てほくそ笑むと、セトは二度と振り返らずに出て行ってしまった。
そんなセトを見送って、
(アイツ…オレとは絶対に関わろうとしない気だな!)
勿論、一介の神官見習いと次期ファラオとなる世継ぎの王子とでは、幾ら年が近いとは言っても身分の差は歴然だ。
そのため、おいそれと自分の方から声をかけるということなどできることではないのも事実だが ―― あれはどう見ても、王子の方からも声をかけさせまいと、避けているとしか思えない。
とはいえ、そんな程度では消沈するユギでもない。
(フン、いい度胸じゃないか。絶対にこっちを向かせてやるぜ!)
そもそも何故そこまで気にかかるのかなどということには全く思いもかけず、ユギは得意の悪巧みをめぐらせ始めていた。






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初出:2006.09.03.