視線 04


まるで迷路のような王宮の広さではあったが、セトはまるで勝手知ったると言ったように迷うことなく歩き進んでいた。
元々、記憶力には定評がある。それに、差し込む太陽の位置と建物の配置を頭に入れておけば、例え始めてきた場所でも迷うことはないといってもいい。
そうして外に出ると、衛兵に軽く挨拶をして王宮を後にした。
これが正式な神官クラスや特に六神官といわれるほどのものであれば、当然、歩いて神殿に帰るなどということはないだろう。
数人の奴隷に担がせる輿を待たせているか、もしくは馬でも用意させることになる。だが、まだ表向きは見習いでしかないセトにはそのようなものがあるはずもない。勿論、セト自身もそれを不満などと思うこともなく、表参道を歩いて渡った。
貴人であれば、例え歩きであっても従者に日よけを持たせて行く所である。『花の都』と謳われても、王都テーベの周りは砂塵の舞う砂漠の大地。その日差しは貧富や身分の差などなく、人間達に照りつける。それでも、日ごろから炎天の下で働くことを余儀なくされている下級の者たちならいざ知らず、殆どが屋内にいることの多いセトには、やはりこの日差しはきつかった。
「流石に強いな。日が暮れてからの方が良かったか…」
ましてやセトの肌はエジプトには珍しい白皙で、陽に灼いたことなどないに等しい。一応、王宮を出る前には砂漠の民が身を包むようなすっぽりと頭から足の先までを隠すような服を重ね着していたが、それでも照りつける陽は容赦ない。
仕方がなく、セトはなるべく日陰を選んで西の大参道へと向かっていった。
『石版の神殿』に仕えるとは言っても、寝泊りまでをそこでするわけではない。
一応、宿舎のような建物は神殿の隣にあり、そこには流石に王宮図書館には及ばないまでも、かなりの蔵書が収められた書庫もある。
流石に千年宝物に関する書はアクナディン自らの封印が施されているために手にとることはできないが、それに及ばないまでも数多くの魔道書や術書も安置されており、セトにとっては願ってもいないことだった。
特に魂(バー)の鍛錬や制御に関する秘伝書や、更には精霊に関する書物もあることは既に確認済みである。
(思わぬ幸運だったな。下手な王宮勤めなどよりは遥かにマシだ。)
そう思えば宿舎に戻る足も速まるというもので、セトは日差しを避けるように更に深くフードを被ると、にぎわう町並みなど見向きもせずに歩いていた。
と、その時、
「 ―― !」
不意に路地裏から腕をとられ、そのまま引きずり込まれる。
「何を ―― っ!」
咄嗟にフードを払いのけて逃れようとするが、掴まれた腕の力は相手の方に分がある。しかも、以前なら護身用にと短剣の一つも持っていたのだが、この日は王宮での謁見があったため、そんな物騒なものなど持ち込めるはずもなかった。
しかし、
「…ったく、危ねぇなぁ。油断するなって言っておいたはずだぜぇ?」
背中から羽交い絞めにされるような格好で抱きとめられた耳元に、聞き覚えのある声が囁かれる。
「言っただろ? 王都とはいえ街中は物騒だ。特に路地裏に繋がっているような場所は気をつけろって」
「…そうだったな。いつ貴様のような不埒な真似をするヤツが現れるとも限らんらしいな」
そう答えながらすっと力を抜き、僅かに隙を見せたようにして首にかかる腕を逆手に取った。
そしてそのまま捻りあげるように身体を沈ませて ―― ところが、
「おおっと…ククっ、相変わらず物騒なヤツ」
「フン、貴様にだけは言われたくはないわ」
咄嗟にセトの背後から飛びのき、真正面に対峙する。
白い髪に赤い派手な服。だがそれ以上に目立つのは ―― 頬に走った刀疵だ。
いや、それ以上に ――
(なんだ? 雰囲気が…変わった?)
外見もその太々しい態度も少し前と変わらないように見えたが、なんとなくその全身に纏うモノが変わっている。
どことなく邪悪というか、禍々しささえ感じて ―― 。
だが、そんなことは今更 ―― 何せこの男は盗賊王になると豪語している国賊 ―― である。だからあえてそれには触れず、
「…何のようだ、バクラ」
セトは腕を組んで、この良く知っていたはずの男を睨みつけた。
一方のバクラは、
(フン…やっぱりな。まだ覚醒はしていないが…片鱗はそこにあるってわけか)
先程までセトを押さえつけていた腕を軽くさすると、僅かに痺れが残っていることに気が付いた。
恐らくはセトを守っている竜の力。本人にその気はなくとも、その守護は邪気に対しては容赦もないらしい。
(これなら…まぁ余程のことがない限りは大丈夫だな)
その細い身体に巻きつくように身を護ろうとする聖なる竜神。その姿は見えなくても、力がそこにあることだけは確かだ。
だから、
「暫く俺はテーベを離れる。だからその挨拶にな」
「何?」
一瞬見せたセトの驚く表情が何故だか嬉しくて、バクラはニヤリと邪気に満ちた笑みを浮かべていた。






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初出:2006.09.10.