視線 05


バクラと分かれて宿舎に戻ったセトは、そのまま何事も無かったかのように書庫に入ると、片端から文献を頭の中に叩き込んでいた。
この書庫は王立図書館には及ばないとはいえ、精霊や魔道に関してはかなりの蔵書を誇るものである。流石にその内容も高度であり、セトの知識を以ってしても流れるように読み解いていくとはいかないはずだ。
しかし、
『暫く俺はテーベを離れる。だからその挨拶にな』
そう言って不敵に笑ったバクラのことが、気がかりではない ―― といえば嘘になる。それを紛らせるための乱読であったが、ふと書物を追う手を休めた。
「バクラのヤツ…」
確かにセトとバクラの付き合いは長い。とはいえそれはお互いの利益のためだけの同盟に近く、そこに友情や信頼などといった生温い関係は微塵も無いはずだ。
だからその気がかりというのも、何か新しい情報を掴んだのかという疑いが一番思い当たる節である。
しかし、
「いや…それならば…」
本当に抜け駆けを考えているのならば、わざわざテーベを離れることをセトに告げることはない。バクラは今までにもエジプト国内のみならず他国にまで足を伸ばすことは多々あったし、それをわざわざセトに言いに来ることなどなかったはずだ。
だが、元々何を考えているか判らないし油断のならない ―― それは、バクラに言わせればセトも同様と言いそうだが ―― 存在であることも確かである。
とはいえ、既に王宮への足がかりを手に入れたセトの立場であれば、バクラがテーベを離れたからといって同じように出かけることは儘ならない。今更、王宮でもファラオに次ぐ権力を持つという六神官筆頭のアクナディンの弟子という立場も、捨てるには惜しいものである。
(まさか、それも計算のうちか? いや、幾らアイツでもそこまで企んでいたとは思えんな)
しかも、元々バクラは王制への反逆を企んでいる。
そのための手段の一つとして精霊に関することも調べているにすぎないはずであり、同じく精霊を欲しているセトと組むことでその力を利用しようとしているらしいが、それはバクラが勝手に考えていることである。
セト自身は特に王権に対する恨みなどはなく、あくまでも自らの半身を求めているということである。
唯一の理由といえば母を死に追いやったあの事件であるが、あのときの首謀者は既に「全員死んでいる」はずである。
バクラの生まれた村を「焼き尽くし」、セトが母とともに「隠れていた」アドビスの村をも「滅ぼした」といわれている、「異教の軍団」。
あの時セトが生き残れたのは、母が「庇った」お陰であり、また、生き埋めにならずにすんだのも、「異教の軍団」への復讐で後をつけていたバクラが、そこにセトがいることに「偶然気が付いた」ためである。
尤も、バクラにしてみれば、「後先を考えずに地下神殿を破壊したために落盤が起き、愚かにも自らまで犠牲になった異教の軍団が、まだ生き残っているのかと思った」だけであり、見つけられたのは本当に偶然だったとのことだから、別段恩とも思ってはいない。
寧ろあの時、ほんの一瞬ではあるがバクラに向けられた視線に、殺意があったことも覚えていて。
それは、セトを「異教の軍団と間違えた」などというレベルのものではなかったと思っている。
そう、その時のことを決して忘れてはいないから、セトもバクラに対しては完全な信頼をもてないというのは紛れもない事実である。
だが、今日感じたあの邪悪に満ちた気配は、あの時の殺意など児戯に等しいとまで思えるほどの強烈だった。
そして無意識ではあるが、セトの中の「何か」がそれを跳ね返したという感覚も ―― 感じ取っている。
そのことも気にかかるところではあるが ――
「まぁいい。ヤツが何を企もうが、俺の邪魔にさえならなければ…な」
そう呟いた、セトであったが ―― まさか邪魔をするものが王宮にいるとは思いも寄る術などありはしなかったのだった。



その夜 ―― 王宮から戻ったアクナディンは、出迎えたセトにこう告げた。
「王子のたっての希望であってな。明日からの王子の勉学の時間にそなたもマハードともに机を並べ、治世や外交、軍事などを学ぶとのこととなった。将来の側近となれば、今からその実力を知っておきたいと仰せでな」
「…そうですか。それは私のほうこそ有り難く思うことです。喜んでお受けいたします」
そう恭しく命を受けたセトであったが、その内心ではあの紅の不敵な視線が意地悪く笑っているように思えて仕方がなかった。






to be continued.





視線 04


初出:2006.10.15.