Decisiveness 01


8月とはいえ、冷涼な風の吹くイングランドの短い夏。
駆け足で訪れた夏が早くも過ぎ去ろうとする中、イングランド史上最も有名な戦いが始まろうとしていた。
場所は、ボズワースの荒野。
現国王リチャード3世の軍勢は1万を数え、対するチューダーの軍勢は5千の兵を動かしていた。



まだ日の昇りきらぬ朝靄の中、荒野を軍馬の嘶きと血臭が立ち込めようとしていた。
「ノーフォーク公の軍が先陣を切られたとの報告が入りました。相手はチューダー軍右翼のオックスフォード伯。両軍とも兵力は1千と思われます」
伝令の報告が響き渡る中、クリスの白い甲冑が朝日を受けてキラキラと輝き始めた。
そのすぐ隣には、クリスを守護してやまない『青眼の白龍』の姿。
その類稀な一対の姿に、従う兵士の士気は高い。
「チューダーの右翼ということは、戦場は南の沼沢地を挟んでということになります。いかがされますか?」
地図に両軍の配置を確認しながら、イシュタルは参謀としてクリスに決断を求めた。
それに対し、
「兵力の逐次投入は却って消耗戦になる。叩くなら一気に兵を動員すべきだが…」
国王軍の兵力は約1万。対するチューダー軍の倍を擁している。
だがその兵力は、戦場と王都の間を守るノーサンバーラード伯軍やボズワースの北に展開しているサー・スタンリー軍など幾つかの大隊に分かれているため、各個撃破に転じられては決して有利とはいえない。
(兵力の分散など愚の骨頂だ。そんなことも判らんとは、愚か者め)
類稀な美貌もさることながら、戦略にかけても比類ない才能をもつクリスである。
数だけで勝った気になっている他の将校とは異なり、確実に勝利を得るまでは気を抜くつもりはない。
ましてや相手はあの『オシリスの天空竜』をしもべと持つヘンリー・ユギ・チューダー。
ただものでないのは明らかである。
「敵より多くの兵を集めるのは用兵の鉄則。それを判らぬヤツではあるまい。何か策を講じているはずだ」
「では、ここは静観されますか?」
「ふむ…」
速攻と機略に富むヘンリーが相手である。臆する気は全くないが、しかし警戒はせざるを得ない。
しかし、
「ほほう、これは…『薔薇十字団』の総帥ともあろう方が臆されましたかな?」
嘲笑とも取れる口調でそう言い放ったのは、宰相ウォーリック伯の息子ギルバートである。
つい先日、チューダー軍の主力であるジョーノ軍の前の全滅寸前まで追いやられたというのに、ただ宰相の息子というだけで何の咎めも受けることはなった。
そのことが一層己を特別視する一方で、それを救った ―― 本来なら感謝すべきところであるクリスに対してはただならぬ敵愾心を晒しだしている。
尤も、本来はそんな挑発に乗るクリスでもなかったが。
「フン…敵の策略を予想するのは軍を指揮するものとしては当然のこと。それが判らぬ愚者は大人しく知者に従っておればよいわ」
まるで独り言のように呟くその台詞が、誰に向けられたものかは思い当たる本人が一番良く知っていた。
「何? 貴様、誰に向かってそのような口を!」
典型的な貴族の子弟であるギルバートに、忍耐や理性などというものは皆無である。
しかも、後宮では氷の美貌と称されるクリスの嘲笑は気位だけは人一倍高い人間には耐えられないほどの壮絶さである。
国王の控える本陣ということも既に念頭にないギルバートはクリスに掴みかかろうとしてきたが、そんな愚鈍ともいえる動きは既にクリスの計算済みであった。
伸びてくる腕をまるで舞うように交わし、逆手にとって地に這い蹲らせる。
「お控えなされよ。陛下の御前です」
あくまでも表情は冷静で、しかしその蒼の目が侮蔑に睨んでいることはギルバートにも明らかである。
「くっ…離せっ!」
思い切り手を振り払おうとするのをあっさりと離せば、逆に力の加減をしなかったがために更に地に倒れこむ。
そんな無様な姿を、周りの兵士たちは失笑したい思いで見守っているが、流石に声を上げて笑うものはいなかった。
だが、その気配だけはギルバートにもひしひしと伝わってくる。
そんな中 ――
「報告します! 正面からジョーノ軍が進撃を開始しました!」
その報告を受けると、すぐさまクリスの表情が指揮官としての威厳に満たされる。
戦が始まれば、貴族の子弟などと遊んでいる暇はクリスにはない。
最早ギルバートなど一顧だにせず、すぐさま司令部へ各個隊の指揮官を集めさせた。
「ペガサス軍はここに残り陛下をお守りしろ。我が軍は出撃し、目の前の敵を撃破する。すぐに出陣の準備をせよ!」
そう高らかに告げると、ケープを翻し颯爽と立ちあがった。
「グゥルルル…」
それに吊られるように、クリスのしもべもゆっくりと鎌首を持ち上げる。
「来い、イブリーズ!」
忠実なしもべにだけ女神のような笑みを向けると、クリスはすぐさま出陣の準備に入った。
(くっ…おのれ、ローゼンクロイツめ…)
当然 ―― 屈辱にまみれながら逃げるようにその場を去るギルバートの姿などクリスの視界に残ることはなった。






Decisiveness 02


初出:2004.01.07.
改訂:2014.08.30.

Silverry moon light