First Blush 09
―― バタンっ!
重厚なドアが蹴破られる勢いで開かれると、そこに現れたのは女神もかくやと思える佳人の姿だった。
まるで光の洗礼を受けて舞い降りた天使のように。
だがこの天使には、慈愛や温情などと言う言葉とは無縁のようだ。
一瞬、明るい外から薄暗い聖堂へと入ったために、クリスの視界が闇に閉ざされた。
しかし、それもほんの一瞬で、すぐに視力を取り戻せば、
「ユギ…」
その苛烈な視線が、赤い絨毯に敷き詰められたロードの先に待つ、ヘンリーの姿を捉える。
紅い髪に紅い瞳。
流石に今日はいつものようなラフな格好ではなく国王としての正装をしていたが、それでもどこか危険な雰囲気を持っているのは ―― 恐らくその人となりのせいだろう。
その上、不敵な笑みさえ浮かべるその口元に気がつけば、クリスの方も視線を逸らすわけにはいかなかった。
だから、
「…行くぞ、イブリース」
「グゥルルル…」
まっすぐヘンリーの姿を見据えたままで最愛のしもべにそう告げれば、イブリースも心得たように恭しくベールを咥える。
―― カツ、カツ、カツ…
本来、家族と歩んできた過去を噛み締め、花嫁が父親と共に厳かに進むバージンロード。
しかし、介添えなしでその道を歩くクリスには、これまでの過去を思い浮かべる素振りなど微塵もなかった。
甲冑を着込んでいる時と全く変わらず、まっすぐにヘンリーだけを見て躊躇うことなく歩みを進める。
その、豪奢なローブ・デコルテに身を包みながらの健脚ぶりは、これから結婚式を挙げる花嫁というよりも、寧ろ、宣戦布告を告げにきた大使のようでもあるほどで、
「おいおい、マジかよ。あれじゃあどう見たって、これから結婚しますって言うより…」
「心配しなくても、嫁姑の確執には無縁ですのにね」
「いや、そういう意味じゃなくって…」
一応、見届け人ということで列席を余儀なくされたジョーノとイシュタルが、片や呆れ顔、片や微笑ましく見守っているが、それさえクリスの視界には入ることはない。
(まぁ確かに。キレイではあるけど…中身がアレなんだぜ?)
立ち居振る舞いは、どんな王侯貴族の令嬢にも引けを取らない洗練さで。
その美貌は、神の御手によるものと思えるほどの美しさ。
それこそ微笑み一つで国を操ることも、滅ぼすことも簡単に成し遂げそうな蠱惑の仕草を持ちながら、その内心は、極めて苛烈で気丈で熾烈ですらあって。
上辺の美貌に狂わされ、その身を滅ぼした者は果たして何人いることかと思わずにもいられない。
尤も、確かにあれほどの苛烈さと強さがなければ ―― ヘンリーの狂愛にも似た独占欲に耐えられるものでもないのだろうとは思いもすることではあるのだが。
(大丈夫かよ、ユギのヤツ。相手がアレだってぇのに…)
そんなジョーノの内心を察したのか、
「心配いらねぇよ。ま、いざとなれば俺サマが掻っ攫ってやってもいいしな」
「その心配も無用デース。クリスのコトは、私が責任持ってお世話しまショウ」
いつの間にか列席しているバクラとペガサスも、それぞれ勝手なことを宣言する。
だがそんな周りの思惑など ―― 気にする当人達ではないのも事実。
いや寧ろ、そんな外野を牽制するようにヘンリーが一睨みすれば、
「ホホホ…結婚しても、陛下の御心に休まるところはなさそうですわね。寧ろ、今まで以上に大変かもしれませんわ」
一人部外者を装うイシュタルが、コロコロと愉しそうな笑みを浮かべていた。
やがて、クリスはヘンリーの前に立ち止まると、
「待ってたぜ、セト」
そう言って手を差し伸べるヘンリーに、焦がれて止まない蒼穹の瞳で睨みつける。
「大した茶番だな、ユギ」
「茶番とは酷いな。俺は本気だぜ」
「フン、ならばもう一度生まれ直して、一般常識を学んで来い」
「それも無理だな。何度生まれ変わっても、俺はお前を必ず見つける」
そう宣言する紅い瞳には、躊躇いも迷いも微塵もなくて。
「そんな…非科学的な…」
「そう思うか?」
重ねて問われれば ―― 否ということはできなかった。
この男なら、どんな逆境や苦境にあったとしても、必ず自分の前に立ち塞がることだろう。
「俺は神なんか信じないから、お前だけに誓うぜ」
そう言ってクリスの左手を取り、その薬指に唇を落とすと、
「何があっても、この先この手を離すことはない。お前だけを愛している」
ドクンと、クリスの鼓動が跳ね上がる。
恐らくそれはヘンリーに気づかれていることだろうと思いはするが、
「…精々、俺に見限られんようにすることだな。無様な真似をしてみろ。俺が即座に引導を渡してくれるわ」
高貴な朱唇から発せられたのは ―― 決して靡くことない苛烈な言葉。
「勿論。俺はお前さえいてくれれば」
「ならば俺が最後まで見届けてくれる」
甘い言葉は必要ない。
馴れ合いも必要ない。
必要なのは ―― 共に在るという覚悟だけ。
「ずっと…一緒だ」
そう告げるヘンリーに応えるように、クリスは静かに目を閉じ ―― 誓いの口付けを交わした。
to be continued
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初出:2007.06.30.
改訂:2014.08.30.