First Blush 08


ヘンリーに遅れてバクラの御者で後宮から出発した馬車は、何事もなくウェストミンスター寺院に到着したが、そのまま馬車で入っていける最奥まで乗り込むと、そこは全くと言ってもいいほどに人気のない奥庭であった。
それでも一応辺りの気配を再度確認して、
「着いたぜ、お姫サマ。さ、王サマがお待ちかねだ」
そう声をかけて恭しくドアを開ければ、
「誰が姫だっ !?」
「キシャーッ!」
どうやら全く信用されていないらしい。そのまま蹴りか ―― もしくはイブリースの攻撃が飛んできそうな勢いで怒鳴る声が襲ってくる。
とはいえ、
「いい加減諦めろよ。折角のドレスが汚れるぜ?」
と言えば、
「くっ…判っておるわっ」
どこか悔しそうに ―― まるで年端の行かない子供が拗ねるように唇を噛みながら、姿を現した。
その姿、まさにヴィーナスもアフロディーテも裸足で逃げ出しそうな美しさで。
(これは…王サマがトチ狂うのも無理ねぇな)
結婚などと、一人の人間に縛られようとするヘンリーの気が知れないと思っていたバクラであったが、この美貌を前にすればその気持ちも判らないでもなくなっていた。
傷一つない雪花石膏の肌に柔らかそうな栗色の髪。
例え相手が誰であろうとまっすぐに見つめてくる蒼穹の瞳は気高く鋭利で、桜色の朱唇が紡ぐ言葉は刃のように鋭くても。
まさに神の奇跡を思わせる美貌は、闇を持つものほど惹かれて止まないものなのかもしれない。
(相手が王サマでなけりゃあ、俺サマが浚ってやるところだぜ…)
尤も、そんなことをすれば、
「グゥ…ルルル…」
バクラの内心を見透かしたかのように、クリスの側に侍っていた青眼イブリースが威嚇の咆哮を上げる。
「おっと、相変わらず物騒な護衛だぜ」
「どうせ不埒なことでも考えておったのだろう。イブリース、次にコイツが怪しい真似を見せたら、構うことはない。バーストストリームを叩きつけてやれ」
「おいおい…」
それは勘弁してくれと、ふざけたようにホールドアップをしてみせる。
だが、そんなバクラに付き合う気はないのか、クリスはさっさと馬車を降りると、まるで勝手知ったると言うように建物に入った。
ウェストミンスター寺院は、英国王室にとっては由緒正しい寺院である。
正式な戴冠式を初めとする王室行事の殆どがこの寺院で行われるのは言うまでもなく、王族の結婚式もまた然りである。
しかし、仮にも国王の結婚式と言うのに、この日の静けさはとクリスが内心不思議に思えば、
「ギャラリーがないのは我慢しな。流石に突然だったんで、招待客はナシだとよ」
それをどう悟ったのかバクラがフォローした。
だが、
「フン、晒し者になるよりはマシだわ」
恐らくは相手が自分と言うことで、ヘンリーが強攻策を取ったのだろうということは想像に容易い。
その中には、己を亡き者にしようとする者への牽制もあったのだろうということも、薄々気がついている。
(だから、最初から普通の相手を選べば良かったのだ。それをあの男は…!)
別に誰かに祝福されたいなどと思っているわけではない。
しかし仮にも英国王の結婚式ともなれば ―― それなりの対面といったものは欠かせないはずなのだ。
尤も、バクラにしてみれば、後日開かれる披露の宴では、ヘンリーが各国の大使や貴族を招いてクリスを見せびらかすつもりであると言うことは見え透いており、クリスが心配するようなことは全くないのだが ―― それを言えば、本人の機嫌が悪くなることも目に見えている。
そこは、バクラの方が一枚上手であるから、あえてそれには触れずにいたのだが、
「だから、立会人は俺サマと姐上サマ、ジョーノに、それと…」
「ワタシも立ち会いマース」
その独特な話し方に、クリスの歩みが止まる。
大聖堂への扉の前には、何故かかつての副官が待っていた。
「貴様…」
「Oh、スペシャル・ワンダフルデース、クリス。本当にビューティフル、デース」
ペガサス・J・クロフォード。クリスより一つ前の「薔薇十字団」総帥の副官も努めていた男である。本来であれば戦犯として処刑もありえたのだが、先王崩御が伝わると同時に降伏し恭順を見せたために数ヶ月の謹慎で罪を解かれ、今では王宮に復帰していたのだ。
しかも、クリスとは旧知と公言して憚らず、
「どうせなら花婿役の方が嬉しかったのですが、仕方がありまセーン。僭越ながら、ワタシが父親役をいたしまショウ」
そう言って恭しくクリスの手を取ろうとする。
すると、
「おいおい、勝手なこと抜かしてンじゃねぇよ。ペガサス。てめぇは引っ込んでろ」
すぐさまバクラが立ち塞がる。
「コイツがイヤなら、俺サマでも構わないぜ? なぁ、お姫サマ」
「何を言いますカ、バクラ。貴方ではクリスと吊り合いまセーン」
「それを言うなら、てめぇだって吊り合わねぇぜっ!」
結婚式の父親役といえば、当日共にバージンロードを進み、その先に待つ花婿に最愛の娘を託す役。何故かそれの取り合いになっている二人だが、肝心の花嫁の方は、
「ええぃ、煩いっ! 父親役など必要ない。俺にはイブリースがいるわっ! 行くぞ、イブリース!」
「キシャーッ!」
過去は振り返らない。
未来は己で切り開く ―― 最愛のしもべと共に。






First Blush 07 / First Blush 09


初出:2007.06.30.
改訂:2014.08.30.

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