First Blush 07


終戦直後の戴冠の儀の折の惨劇。
あの時の賊達の狙いはヘンリーであったのだが、それを一早く察したクリスは、自らの身体でヘンリーを庇った。
もしあの時クリスの手に剣があれば、勿論容易く叩き落していただろう。
いやせめて甲冑を着ていれば、あれほどの傷を負うこともなかったはずだ。
そして、あのとき感じた喪失感ほど ―― ヘンリーを狂わせるものは存在しなかった。
だから、
「勿論、お前を絶対に守ると誓う。だが…」
王宮とは、どんなに国王が善政を敷いたとしても権謀術数の渦巻く魔窟であることに変わりはない。
ましてや相手がクリスであれば、容易く敵の手にかかるようなことはあるまいし、後宮には英国最強の女魔導師といわれているイシュタルもいる。
しかし、この世に絶対の安全など存在しないし、万が一ということもないとは言い切れない。
ところが、
「フン、俺を守るだと? 見くびるな、ユギ。俺は他人に守られるだけのモノに成り下がる気はない」
あの時のヘンリーは、丁度儀式の真っ最中で。
そのために賊の気配に気づくのが遅れたのは否めない、というものなのだが。
それで済ませることもできないでいることは ―― クリスには痛いほどに判っていた。
自惚れではない。
ヘンリーが、いかに己に執着しているかということは、この身をもって知っている。
そして自分もまた ―― 。
だから、
「あの時、俺も言った筈だ。貴様を殺すのはこの俺だ。他のヤツになどくれるものか、と」
何処までも素直にはなれないクリスは、短剣を受け取ると鞘を抜き、その切っ先をヘンリーに突き向けた。
「精々、俺に見限られ、喉元を掻っ切られぬよう気をつけろ」
「セト…」
「判ったら出て行け。それとも何か? 結婚式など茶番ゆえ、やはり挙げるのはやめるという気か?」
それならそれでも構わぬぞ、と、クリスの蒼い瞳が挑戦的に煌く。
それは ―― どんな闇にも染まらない蒼で。
この蒼があれば、ヘンリーに巣食う闇など、いつでも一蹴されることだろう。
世界を破滅させる闇といえども、世界どころか未来も切り開く光の前では、物の数ではないはずだから。
そしてその蒼と並び立つためには、弱音など吐いている余裕などない。
「…判った。先に行って待ってるぜ。俺のお后サマ」
そう囁いて、誓いのキスをその手に捧げると、ヘンリーは部屋を後にした。



そうしてクリスの部屋を出ると、
「全く、無茶をするぜ。あのお后サマに刃物なんか渡して、寝首をかかれても知らねぇぜ?」
姿は見えないのに、低く物騒な男の声がヘンリーの耳に届いた。
「クリスに殺されるなら本望だな」
「そうだな。ま、お后サマが未亡人になったときは、俺が面倒見てやるから心配するな」
「それこそいらん心配だ。俺とクリスは永遠にラブラブだぜ」
「チッ、そうかよ。ほざいてろ」
国王であるヘンリーに対する暴言となれば、即刻、首を刎ねられても文句は言えないはずである。
だが、
「それよりも…」
バサリとマントを翻すと、ヘンリーは威風堂々と歩みを進めた。
行き先は王宮前の広場。
そこには、これから結婚式を執り行う二人のための馬車が用意されているはずである。
そのことは、既に王宮内にも広く伝わっているようで、
「御結婚おめでとうございます、陛下!」
すれ違う兵士達が、まるで我が事のように祝福を述べる。
それを笑みで返しながら、
「貴族どもの動きはどうだ? バクラ」
そう呟くと、いつからそこにいたのか、ヘンリーの背後を一人の男が着いてきていた。
流石に今はそれなりの格好をしてはいるが、その雰囲気は貴族と言うにはあまりにも危険な香りを漂わせている。
しかし、何故か他の兵士たちには見えていないようだ。
名前は ―― バクラ。裏世界を知り尽くした、一筋縄では行かない、キケンな男だ。
「流石に、まさか今日とは思ってなかったみてぇだぜ。まぁ元々、悠長な連中だけどな。今頃はどこぞに集まって、無い知恵を捻ってるところじゃねぇか?」
無論その内容は、いかにクリスを王宮から追い落とし、ヘンリーに自分達の息のかかった女を宛がって王権を手中にということだろうということは ―― 言うまでもない。
そして勿論、
「俺のクリスに手を出してみろ。一族まとめて地獄に突き落としてやる」
そう宣言するヘンリーの声には、そこはかとなく闇の気配を滲ませていた。
そういう者がいると言うことだけで、ヘンリーの闇はいつでも暴走する。
それをとめる事ができるのは、世界広しといえどもこの世にたった一人しかいないということを、画策している連中だけが気がついていないのだ。
「おおこわっ。ったく、恋に狂ったヤローは怖いぜ」
「とにかく、俺は先に寺院に行っている。お前は…」
「判ってるって。お姫サマの護衛だろ。で、邪魔者は八つ裂きオッケーと」
「ああ、だが、くれぐれもクリスには気づかれるなよ。折角の式を薄汚れた血で汚すのは、趣味じゃない」
それだけ告げると、ヘンリーは用意されていた馬車に飛び乗った。
それを見送って、
「今更、何言ってるんだか。ま、俺サマの知ったことじゃねぇけどな」
そう呟くと、もう一台の馬車に乗り込んだ。






First Blush 06 / First Blush 08


初出:2007.06.30.
改訂:2014.08.30.

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