First Blush 06


一方、イシュタルに追い出されたヘンリーはすぐさま自分の部屋に戻ると、大急ぎで正装に着替えすぐにクリスの部屋の前に戻ってきた。
この場を外していたのは、ほんの十数分といったところのはずで。
耳を済ませて中を伺えば、聞こえてくるのはサラサラと言う衣擦れの音ばかり。
どうやら既に着替えは終わっているようだと察すると、
「邪魔するぜ、セト」
一応、そう声をかけながらも、ヘンリーは返事も待たずにドアを開けた。
「まぁ、陛下!」
「キシャーっ!!」
流石にこれにはイシュタルも良い顔を見せなく、クリスの側に侍っていたイブリーズも、ミニチュア版ではありながら威嚇の咆哮を上げる。
それに引き換え、数人の侍女達に化粧やら飾り付けやらをされているクリスは、チラリと鏡越しに視線を動かしただけだ。
「花嫁の姿は、式が始まるまで見ないものですわ。そのくらいは我慢なさいませと申し上げましたでしょうに」
「フン、こやつに忍耐などあるわけなかろう。ないモノを望むなど、無駄なことだ」
生憎メイクの途中であったため振り返りはしなかったが、クリスは吐き捨てるように断言し、鏡の中でヘンリーを睨みつけた。
その視線に、ヘンリーの足が止まる。
勿論、クリスのために用意させたドレスにアクセサリーの数々である。
これらを選んだときも、ヘンリーは脳裏でそれを身に纏ったクリスの姿を想像して、最高のできばえだと確信したからこそのものだったはずだ。
それが、
「セト…」
丁度ヘンリーの位置から見えるのは、クリスの後姿で。
スラリとした姿の良さは言うまでもなく、腰の辺りまで大きくカットされているデザインのために、綺麗な背中が惜しげもなく晒されている。細い首には豪奢なエメラルドのネックレスが燦然と輝き、細い腰から緩やかに広がるスカートが気品を際立たせていた。
まさに、傾国の美貌とはよく言ったもの。この美貌の前では、どんな人間でも膝を折り頭を垂れることを是と思うことだろう。
否。この美貌を手に入れるためならば、国の一つや二つ、容易く天秤にかけることもあるだろうとと思えて ――
「…陛下」
思わず見とれてしまっていたヘンリーだったが、イシュタルに再度非難の声で問われると、漸くハッと思い出したように、我に返った。
「ああ、悪いな。どうしても式の前にクリスに渡したいものがあってな」
「…?」
この格好を茶番としか思えずにいるクリスにしてみれば、黙って見ているだけとはどういうつもりだと怒鳴りたいところであったのだが、そんなことを言い出したヘンリーに興味を見せて、侍女たちを下がらせた。
「言っておくが、これ以上の宝石などなら窓から捨てるぞ。」
「それは残念だぜ。でも、宝石なんかじゃないから、安心しろ」
そう言って自らの懐から出したのは ―― 一振りの短剣だった。
「お前用に作らせた。長剣でないのは勘弁してくれ」
派手好きなヘンリーにしてはごくシンプルな、しかし、柄には茨をモチーフにしたと思われる装飾が施されているその短剣は、かつてクリスが静養していたアングルシーの城で、ヘンリーに持たされたものと変わらない
戦場で使うには心許ないかもしれないが、側にいる人間一人の命を奪うのであれば ―― 何の問題もない一振りである。
「これは…」
「言った筈だ。俺の命はお前のものだ、と。それに…」
チラリとヘンリーの紅い瞳が翳り、
「あんな思いをするのは、二度と御免だ」
そう呟いて唇を噛み締める表情には、苦痛を伴う悲鳴が聞こえてくるようだった。






First Blush 05 / First Blush 07


初出:2007.06.30.
改訂:2014.08.30.

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