First Blush 00


「ちょっと出かけてくる」
そう言ってヘンリーがオシリスの天空竜に飛び乗って行ったのが前日の昼前のこと。
そして日付は変わったが、まだ陽も昇らぬ未明になって漸く戻ってきたかと思えば、
「朝っぱらから悪いな、サイモン。悪いついでに大至急、結婚式の準備をしておいてくれ」
と言うだけ言うと、ヘンリーはオシリスに再び飛び乗った。
「結婚式ですと? どういうことです、陛下っ!」
「言葉の通りだぜ。やっと本人からのお許しも出たからな。善は急げって言うだろ?」
それは ―― 「善」ではなくて「悪巧み」でしょうという声が聞こえてきたような気がしたが、
「また余計な邪魔なんか入ったら…今度こそオレもぶちきれるゼ」
口調はあくまでも軽いのだが、その赤い瞳は苛烈なまでに真剣だ。
「ちょっと無理させたけど…アイツが起きたら今度こそ連れて帰ってくる。ああ、離宮の方の準備も頼むぜ」
いずれは迎える「王妃サマ」のためにと、王宮内の離宮のリフォームは8割方済んではいるはず。
だが手が足りないところはジョーノ君に手伝ってもらってくれと言い放って。
勿論、そんなことは構わないのだが。
「お待ちください、陛下! あ、相手はどこのご令嬢で? お名前はなんと?」
そんなこと、本当は聞かなくても判っていたけれど。
一応、念のため。あるいは ―― 万が一の望みをかけて。
だが、長生きをしてしまった老人にとって、現実はいつでも非情であった。
「名前? ああ、勿論…」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、勝ち誇ったような表情で告げる名は、
「クリスティナ・セト・ローゼンクロイツ・オブ・ヨークだぜv」



「ええいっ! 離さんかっ!」
既に陽は西の大地に姿を消して、辺りは夜の帳が支配しようとしている中。
―― ゴォォォッ…
突然、耳を引き裂く轟音とともに、禍々しいまでの破壊神が王宮の広場に舞い降りると、同時に良く通る琴音のような声が響き渡った。
「あんまり暴れるなって、クリス。まだ歩けないだろ?」
「う、煩いっ! 貴様に抱きかかえられるくらいなら、這ってでも一人で歩くわっ!」
「そんな真似させられるかよ。いいから大人しくしておけって」
破壊神と恐れられているはずのオシリスが地に伏せれば、飛び降りてきたのはイングランド史上最強と誉れも高い若き国王の姿。
そしてその腕には ―― それこそヴィーナスもアルテミスも裸足で逃げ出しそうな絶世の美姫が一人。
雪花石膏のごとく透ける白い肌に、柔らかそうな栗色の髪。
整った鼻梁に真紅の唇。
そして何よりも魅了して止まないのは ―― その蒼穹の瞳。
成層圏の空の色よりも、何カラットという国宝級のサファイアよりも蒼く輝く、まさに生きた宝石。
まっすぐに揺らぐことを知らない、苛烈な人となりを表すような輝きを誇る最高級の鋼玉。
クリスチャン・セト・ローゼンクロイツ。
英国王直轄の近衛師団『薔薇十字団』の元総帥。
勿論、言うまでもなく「男」である。



「貴様…離せと言っておるだろうがっ!」
外見だけならたおやかな深窓の令嬢に見えないこともないが、その気性の激しさは天下一品。
何せ仮にもこの国で絶対の権力を持つ国王に対してもこの態度で、ヘンリーの腕に中でなければ今頃は不敬罪で囚われて首をはねられても文句の言えないところのはず。
尤も、そのあまりに高すぎる自尊心と高貴さに、その身に縄をかけられる者などそうはいないというのも事実だが。
それにどんなに強く言い放っていても、ヘンリーの腕の中にあるその瞳の輝きは更に光を増し、艶めいて濡れている。
そんな ―― まさに一枚の絵を見るような光と闇の一対に、慌てて出迎えた重臣や衛兵も声を失った。
当然、こんな光景には慣れているはずのジョーノも同様で。
「ジョーノ卿、これは一体…」
普段は傭兵上がりのジョーノなど歯牙にもかけないはずの重臣たちが、どうしていいかわからずにおろおろとしている。
とはいえ、それをいい気味と思うほどの余裕もジョーノにはなくて。
「あ…っと、ま、今日はもう遅いし。正式な紹介はまた明日ということで」
「だが、あれは、まさかローゼンクロイツ…」
「あはは…ま、詳しい話は陛下から直々にあるでしょうから…そうですよね、サイモン様」
少なくとも、自分よりはヘンリーと付き合いの長い老臣サイモンなら上手く誤魔化してくれるだろうと振ってみれば、
「ホホホっ、そ、そうですな。いやはやこんな夜更けでは老体には辛いところですじゃ。さ、詳しくは明日にしましょうぞぃ」
そんな言い訳にもならない言葉で濁しつつ、なんとか狐に包まれたような重臣たちを引き連れて言ってくれた。
(あー助かったぜ。ったく、ユギも無茶してくれる…)



何せ現在お妃サマ第一候補のクリスは ―― 英国最強の魔道騎士団の元総帥。
つい先日までは、新しく国王となったヘンリーと、敵味方に分かれて戦っていた相手だ。
しかも ―― 公でないとはいえ先の国王リチャード3世の愛人で、その身と引き換えに権力を手に入れたと噂されていた背徳の騎士。
その一方で、侍らすしもべはヘンリーの「神」にも匹敵する聖獣『青眼の白龍』。
権力闘争でクリスに負けた者も、戦で『青眼の白龍』の力の前に敗れた者も、その数は両の手に余るほど存在するから。
例えそれが書類の上だけでもヨーク家の「養女」という立場であるクリスと、ランカスターの傍流で「正当な王位継承者」とは言いがたいヘンリーとの結婚が、政略結婚であることは間違いないと誰もが思っても。
本気で害そうとするものがいないとは ―― 残念ながらいえないところだ。
だが、
そっとヘンリーのほうを見れば、厄介ごとはジョーノやサイモンに任せたとばかりに、ウインクひとつで合図する。
(小煩い外野の方は任せたぜ、ジョーノくんっv)
(おいおい、ユギ〜)
今更なことではないのだが、クリスにかかわることならヘンリーも容赦はないようだ。
だから、小煩い重臣たちに見せ付けるだけ見せ付けて、
「ほら、ちゃんと掴まってろよ。こんなところで転げ落ちて、無様な真似は晒したくないだろ?」
勿論そんな真似はヘンリーだってするはずがない。何せ大事な王妃サマだ。たとえ腕が折れようとも、地に落とすなんて真似するはずがない。
そしてそこは気性の激しく高邁無敵な王妃サマ。衆人の目の前での失態など、絶対に許すはずはない。
「だから下ろせといっているのだ! 一人で歩ける!」
「…なわけないだろ? ベッドからだって起き上がれなかったくせに」
「それは貴様のせいだろうがっ! 夕べから散々人の身体を弄びおってっ!」
そう弾劾する王妃サマの方も、どこか気だるげななんともいえぬ艶っぽさを醸し出してた。



『お前だけを愛してる』
そういわれて、抱き上げられて。
気がつけば ―― 全てをヘンリーに晒していた。
愛だの恋だの、そんな言葉は世迷言だと知っている。
永遠に変わらないものなど存在しないし、ましてやそれが人の心なら尚のことだ。
ずっと一緒にといっても、いずれ人は一人で死んでいく ―― それが絶対の真理だ。
だから離せと言いつつ、それでもヘンリーの首に腕を回すのは ―― 決して本意ではないと自分に言い聞かせながら。
それが判っていながら、こうやって抱かれていることに不安はない。
むしろ安心して身を預けられるといってもいいほど。
元々クリスはどちらかといえば潔癖症で他人と触れ合うことを忌避するはずなのだが、何故かヘンリーの腕の中ではこんなにも安心できるのだろうと思わなくもないわけで。
実際、昨夜から散々喘がされ気を失わされ、気がつけばいつもヘンリーの腕の中で。
ヘンリーの底なしともいえるアレコレで、シーツも身体もドロドロに溶かされていたにもかかわらず離れたくないと、どこかで願う己がいたのは ――
(違うっ! 絶対に違うぞ! アレはこいつのアレコレで、身体が動かなかっただけだっ!)
そんな風に言い聞かせても ―― それが単なる言い訳に過ぎないことも知っていた。
そう、心に嘘はつけないから。
特にこの紅い闇には、隠し事もできないから。
でも ―― そんなことは天地が裂けても口に出すはずもない。



「大体…国王ともあろうモノが、こんな恥ずかしい真似をするなっ!」
「そんなの関係ないだろ? っていうか、今となっちゃあ王宮はオレの家だし」
「仮にも国王なら、もう少し威厳とか考えろと言っておるのだっ!」
「そんなメンドーなことはどーでもいいぜ。それよりも…オレとしては、お前がどれほど大切かってことを知らしめたいからな」
そういって薄い夜着一枚のクリスを自分のマントで包み、まるで壊れやすいガラス細工のように大事に抱きかかえた姿を見れば、誰だってクリスに対する思いが並大抵でないことは想像にたやすい。
というか ―― ヘンリーの行動基準の全てがクリスにあることなど、今更言われるまでもないことだから。
「…もう十分心得てるからよ。いちゃつくなら、2人きりのときにやってくれよ」
絶対に仕えるべく相手を間違えた ―― もしくは早まったと思いつつ、ジョーノがそう言ってヘンリーたちを二人だけの世界から現実世界に呼び戻せば、
「そうだな。お前のサイコーに綺麗な仕草は、勿体無くて公表できないし♪」
「な、何のことだ、それはっ!」
「ん? だから…イク寸前の俺に取りすがってくる仕草とか、もっと欲しいって強請る姿とか」
「 ―― っ!!!」



そうして結婚の儀が執り行われることになる3日後まで、ヘンリーはクリスとともに離宮に篭り、姿を現すことはなかったらしい。






First Blush 01

密かに浅葱がストーカーしていた小凛さまからの逆ストーカー宣言のとき、
偶然にもカウンターが「12,345」だったので、「リク受付しますよ♪」と更に逆受付したという、曰付きリク作です。

しかも…お題は「英国編のその後・ヘンリーとクリスの犬も食わない壮絶夫婦喧嘩」だったのに、
よくよく考えたら、まだ結婚式をしてなかった!…ということで、続くようです。(ヲイヲイ…)

初出:2004.09.29.
改訂:2014.08.30.

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