Instrument 01


「チェスでオレがあんたに勝ったら、オレと弟をあんたの養子にしてもらいたいのさ!」
そう言ったのは確かに自分だった。
そのためにあの男の戦略や戦術 ―― 些細な癖まで調べ上げた。
チェスの世界王者でありながら、一代で成り上がった軍需財閥の総帥。
自分とモクバのいた施設に来たのは、そんな財閥の後継者を自ら育てるための「素材」を求めてのことだと聞き ―― それに賭けた。
待っていても未来は変わらない。
運命は自分で切り開くもの。
この施設に来て学んだのはそんな「現実」だったから。


そして海馬の姓になって、本当の「現実」を思い知らされたのは ―― 14歳の春だった。


一応は中学3年に進級することになってはいたが、瀬人が学校に通うことなどは本当に稀なことだった。
特に中学2年などは指で数えるほどしか登校した覚えが無い。
それもこれも、表向きは病弱なために欠席をせざるを得ないということになっていたが、本当は ―― 剛三郎の用意した「教師」による「教育」のためである。
一応、中学までは義務教育ということにはなっている。だが、既に瀬人には大学並みの知識が詰め込まれていた。
語学から始まって政治経済、理数工学、地理歴史に宗教哲学、更には古今東西の軍事や法律…。
無論まだ幼少の身でそんな膨大な知識を叩き込まれることには無理があるはずであったが、その点では剛三郎の目に狂いは無かった。
『チェスでオレがあんたに勝ったら、オレと弟をあんたの養子にしてもらいたいのさ!』
そう言ってチェスの世界王者でもあった剛三郎に挑んできた少年は、その大胆不敵な気構えに相応しくあらゆる知識を当然のように吸収していった。特に理工学においては、自ら新たな理論を作り上げるほどの優秀さで、既にその道の権威として剛三郎が用意した教師を凌いでしまうことに時間はかからなかった。
「全く、瀬人様には感心させられます。もはや私ではお教えすることはありません」
「語学のほうも、既に15ヶ国語をマスターしておいでです。もうどの国に行っても言葉で不自由することはございません」
「政治や経済に付きましても、恐ろしいほどの洞察力をお持ちです。経営学も既に理論は完璧にご理解されておりますし…」
そんな報告は今更当然とも思えたが、唯一剛三郎の関心を引いたのは ―― 瀬人自身の美貌である。
施設育ちではあるが、元を正せばとある会社の御曹司である。しかもその母は類稀な美貌の持ち主で、恐らくその血を濃く引き継いだのだろう。幼いながらにもどこか高貴な風格を持った瀬人はどんな場所にいても人目を引いてやまなかった。
子供らしくないといえば、それが唯一の欠点かもしれない。
だが14歳という微妙な年齢は、剛三郎の思惑にはまさに精巧に当てはまるし ―― そもそもこればかりは「教育」などで培うことはできないもの。
まさに天与の才とでもいうべきである。
剛三郎にとっては、まさに掘り出し物といってもいい「芸術品」。
だがこの芸術品を、ただのお飾りにするつもりは微塵もなかった。
「そうか…では最後の仕上げに入るか」
そう言って始まったのが ―― 「仕上げ」という名の悪夢だった。






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初出:2007.04.08.
改訂:2014.09.06.

Paine