ドラゴンの宝珠 01


滑る様に車が屋敷の前に着くと、運転手はそっとルームミラーに視線を向けた。
広い後部席の若き主人は白いスーツを身に纏い、長い足を優雅に組んでいる。
少し俯き加減で、腕を組んでいる姿は何か懸案を考えているようにも見えたが、そうではないことは運転手には良く判っていた。
10人いれば、10人が賞賛する美貌の持ち主。
そしてその10人がまずに絶賛するのが、生粋の日本人とは思えない蒼穹の瞳。
その蒼い瞳が、残念ながら今は静かに閉じられていたから ―― だ。
おそらく、自分の息さえ止めて、心臓の鼓動も止めて耳を澄ませば、かすかな寝息も聞こえてくるかもしれなく ――
しかし、
「瀬人様…?」
この静寂を破るのは神に対する冒涜とも思えるほどだが、このまま時間を費やすことはこの若すぎる主が好まないことも良く知っている。
それに、こんな車内で寝かせるよりは、もっと相応しい場所があることも事実だ。
それでも ―― と、ほんの少しの希望を持って声をかけたが、そんな小さな声にも若い主人は目を覚ましてしまったようだ。
「…どうした?」
「お屋敷に着きました」
「ああ、そうか。ご苦労だったな」
そう言ってドアを開けさせれば、先程の眠りなどどこかえ消えてしまったかのように颯爽とした姿を見せ付けて、若き主人は出迎えの使用人と二言三言話して屋敷の中へと消えてしまった。



シャワーを浴びて寝室に戻ると、既にナイトテーブルの時計は二時を過ぎていた。
草木も眠る丑三つ時とは、よく言ったものだ。
この屋敷には十数人の使用人もいるはずであるが、そんな気配は露ほども感じられないほどに静けさに包まれ、まるで時間さえ止まってしまったかのように物音一つ聞こえてこない。
しかし、
「フン…やはり、アメリカは一筋縄ではいかんか。あのエセ外国人と組むのは気が進まぬが…止むを得んな」
そんなことを呟きながらノートパソコンのキーボードを叩くと、瀬人にしては本当に珍しく、ふぅっとため息をついて額に手を当てた。
確かに若くて体力にはそれなりの自信を持っている。
だが、流石にここ連日の激務はその細い肩には重く圧し掛かり、疲れを感じないということは不可能だった。
それに、
(今夜もモクバの相手をしてやれなかったな)
デュエリスト・キングダム以来、自分がどれだけモクバを大事に思ってきたかを再確認していた瀬人である。
この海馬の家に来て以来、どれだけの辛苦を舐めさせられてきたかとも思うが、それもこれも決して一人ではなく、すぐ後ろを振り返ればモクバが居たからだということを、今の瀬人には良く判っていた。
一時は敗者として見捨てようとしたこともあったのだが、今は守るものがいるということは、それだけで強く生きることができると改めて教えてくれた存在である。
だからこそ、かつての夢と同様に最愛の弟も大事に守っていこうと心に誓った瀬人であったが、ここ数日はその激務のためにロクに顔を合わせることもままならない状態だった。
それでも何とか ―― と思えば、唯一モクバが学校に行く前に顔を合わせるくらいで。
だがそれは、深夜に帰宅する ―― 帰宅後も仕事を続ける瀬人にしてみれば、益々睡眠時間を削る結果になっているということは明らかである。
しかし、
「3時間…いや、2時間休めれば良いか」
決して急ぎというわけではないが、幾つかの懸案事項をモニタに映し出し、それを一つずつ攻略していく。
それはまさにゲームの感覚にも似ていたが、ゲーム以上に大変なのは決して「負け」は許されないということ。
勿論、ゲームでも負けることなど許さない瀬人ではあるが ―― 。
ところが、
「この件は確か…」
ふと思い当たることでもあったのか、席を立って書棚の方へと向かおうとした瀬人であったが、不意に立ち眩みを感じてぐらりと身体が揺れた。
(くっ…頭が…)
痛みというよりは恐らくは貧血のようなものだろう。フッと意識が遠のくような気持ちの悪さを覚えて机に手を付こうとしたが ―― どうやら目測を誤ったらしい。
「チッ…」
伸ばした先には机はなく、空を頼るように身体も倒れる。
そして、そのまま床に激突するかと思われた、その時、
『大丈夫ですか? セト様』
どこか懐かしい声が瀬人の身体を抱きとめた。






02


初出:2007.03.11.
改訂:2014.09.20.

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