Fugitive 02


「ったく、だから女は怖いって言っただろ?」
まるで一瞬の出来事のように目の前に起きた出来事をただ見ていた春也は、そう言って苦笑を浮かべる男の顔を不思議そうに見つめた。
少し離れた地面には、春也に向かってナイフを振りかざしてきた女が数人の黒服に取り押さえられ、悲鳴ともうめき声とも付かない声で叫んでいる。それを最早興味もないと言うように
「マジに、嫉妬に狂った年増女は恐いぜ。ま、ダンナの逮捕が確実となって、お先真っ暗ってのもあるんだろうがな」
そう言いながら、付いてもいない埃を払うように服をはたくと、男は苦笑を浮かべて春也に近づいた。
「で、お前の方に怪我は…ないよな?」
「え、ええ、大丈夫です。僕は大丈夫ですが…」
勿論、春也にも女のことなどどうでもいい。
それよりも気になったのは、
「…何故、裕司さんがここにいるんです?」
美形ではあるが冷たいという形容詞が必ず付け足される春也の表情に、珍しく「驚き」という感情が浮かんでいる。
それを、まるで珍しいおもちゃでも見つけたかのように楽しそうに見ると、
「自分トコの店員の管理もできないようじゃ、オーナーとしちゃ、不味いだろ?」
そう応えて、裕司は春也の頭を撫でた。
春也が務めている『Misty Rain』のオーナー、片岡裕司。年は29と若く、外見だけを見れば『Misty Rain』のホストと間違えられてもおかしくはないほどの二枚目である。
だが実質は ―― 浜松市内に拠点を持つ暴力団、片岡組の若頭補佐だ。
尤も、表向きは『Misty Rain』を初めとするホストクラブやファッションホテルのオーナーでもあるため、春也の質問に対する答えに間違いはない。
しかし、頭を撫でられるなんてまるで年端の行かない子供に接するような裕司の態度で、そんな風に構われることに馴れていない春也は、
「…よく言いますね。決算の時だって出社しないくせに」
呆れたような声でそう答えたが、少し俯いて視線を逸らす仕草からは照れているとしか思えない。
そんな仕草も裕司には面白かったのか、
「ま、そう言うなって。稼ぎ頭にもしものことがあったら、店長も困るだろ?」
と裕司が言えば、一瞬にして春也の表情は変わった。
「まさか、弘明…いえ、店長が僕のことを心配して…?」
そう尋ねる春也の表情は今までの取り澄ましたところなど微塵もなく、驚きと、どこか嬉しそうにも見えるのは ―― 気のせいばかりではない。
しかし、
「さぁて、どうだったかなぁ? まぁ、気になるんなら自分で聞いてみるんだな」
そう応えてニヤっと笑うと、一瞬だけ頬を染めた春也は口惜しそうにキュっと唇を噛み締めた。
(ったく、二人とも揃いも揃って意固地なんだからな…)
そんな春也の様子を面白そうに見ていた裕司だが、
「裕司さん、この女はどうしますか?」
先ほどの女を引っ立てた黒服の一人が、そう声をかけてきた。
見れば女のスーツは泥にまみれ、セットされていた髪も乱れている。その上なりふり構わずに暴れるものだから、流石に力技には長けているはずの男達もどこか辟易としている。
しかも、
「離せぇ! 離してよっ! あんた達なんか…私に触って許されると思ってるのっ!?」
そうやって半狂乱に騒ぎ、最初に邪魔をした裕司を睨む視線は、正に般若にも劣らない。
だが、
「こんなババアじゃ売り物にもならんな。ダンナも逮捕間近で慰謝料なんて無理だろうし…」
そんな恨みまがいの視線などどこ吹く風と気にもしない裕司は、寧ろ厄介極まりないと言いたげに呟いた。
まるで、予定外の出費の埋め合わせをどうしようかと思案するようで、
「確か実家が…長野で呉服屋をやっていると聞いたことがありますよ」
そう春也が仕方がなさそうに応えると、ポンと手を打った。
「そうか。しょうがないな。まぁ、娘の不始末は幾つになっても親がするもんだからな」
半分はまるで自分自身に言い聞かせるようにそう言うと、黒服たちにてきぱきと指示を与えた。
勿論それは女の実家の確認と、莫大な金額になるだろう慰謝料の請求である。
そこは何せヤクザであるから、当然といえば当然のことだ。
そして、流石に女の方もこの事態に漸く気が付いたのだろう。
引き摺られるように黒服たちが用意した車に押し込まれてしまうと、今までの暴れようが嘘のように大人しくなり、更には真っ青になってガタガタと震えていた。
だが、そんな姿も哀れとは到底思えないらしい。それどころか厄介ごとが一つ片付いて清々したとでもいうような裕司は
「じゃ、俺たちも行くか」
そう言って、春也の肩をポンと叩いた。
「行くって…どこへです?」
時間は既に深夜の2時を回っている。いくら繁華街でも、まだ空いている店となどそうはないはず。
だが、
「何言ってるんだよ。お前、帰るんだろ? 助けてやったんだから、コーヒーぐらい飲ませろよ」
そうニヤリと笑う裕司に、今度こそ呆れた春也は思い切り溜息を付きつつも自分の車へと向って行った。






01 / 03


初出:2006.07.16.
改訂:2014.11.03.

Studio Blue Moon