Fugitive 08


とりあえず幸斗のことを加賀山に依頼して浜松に戻ることにした裕司だったが、その心境はかなり複雑だった。
『可愛い子じゃないか。あんまり泣かせるなよ?』
『龍也と一緒にするなよ。それに、そんな相手じゃない』
『ふぅ〜ん。じゃ、どんな相手の子なのかねぇ、是非聞かせて欲しいもんだな』
別れ際には加賀山とそんな会話をしてきたが、
「どんな相手? そんなこと…俺の方が聞きたいぜ」
小さくそんな事を呟くと、裕司は新幹線の座席に深々と身を沈めた。
どんな相手も何も、まだロクに話だってしたことはないくらいである。
確かに綺麗な子で、顔立ちなどは好みといってもいいだろう。だが幾らなんでも若い ―― 幼すぎる。
しかし、そんなことを差し引いても、どうしても気になって仕方がないのだ。
あの時、自分の腕の中で気を失った細い身体が余りにも痛々しくて。
あの身体の傷を見たときには、相手の顔も判らないのに、見つけ出して殺してやりたいとさえ思いかけたくらいだ。
だから厄介ごとなど好まないというのにどうしても幸斗のことは知りたくて、春也を問い詰めたときの口調がクラブのオーナーというよりは、ヤクザの顔だったのは否めない。
勿論そうだったからこそ春也も話す気になったようだったから、それはそれで良かったのかもしれないが。
『仕事の後、気晴らしに車を走らせていたら拾ったんですよ。流石に道路の真ん中で倒れられたら、放っておくわけにもいかないでしょう?』
そう言って拾ったときの状況を説明した春也は、口調こそはなんでもないようにしていたが、その時の状況を思い出すと身震いがするようだった。
春也が車を走らせていたという道路は裕司も知っていて、確かに国道ではあるが夜中には殆ど人気もなく、街頭も乏しい一本道である。
周りは富士の樹海で、今の時期ならシーズンオフのペンションや貸し別荘が言葉どおりに点在するくらい。
しかも春也が幸斗を拾ったと言う4月の初めといえば、まだあの辺りはシーズン前で夜の冷え込みも厳しいはず。
それこそ一歩間違えば凍死していてもおかしくなかったくらいだ。
しかも ―― あの身体の傷である。
それでなくても痛々しいほどに細い身体だというのに、白い肌の上を縦横に刻まれた蚯蚓腫れと陵辱の痕跡。
恐らくは縛られていたのだろうと思われる擦り傷もあれば、鞭で打たれた跡や針で刺されたような跡、更には細かい切り傷や火傷の跡に ―― と、どう見てもSMプレイを強要されていたとしか思えない。
しかもそれは、普段は服さえ着ていれば判らないような場所に集中しており ―― つまりは、表向きは世間を誤魔化して、裏ではかなり酷い目にあわせられていたという証拠だ。
それに、殆どの傷は新しいものばかりであったが、中には治りかけた古いものもあり ―― つまりは、陵辱が一度や二度のものではなく、恐らくはほぼ日常的に繰り返されていたということだった。
『迂闊でした。こんなことをする人間なんて、絶対にカタギじゃないだろうとは思っていたんですが…』
そう春也が言っていたのも、元々怯えたように震えていたのだが、「ヤクザ」という言葉にあれほどまでに過剰に反応したのは、恐らく幸斗を苛んでいた連中にヤクザが関与していたのは間違いないだろうという意味だ。
勿論、人間の性癖にはそれこそピンからキリまであるところで、一見温厚そうな人間でも夜になれば豹変するなんて事は良くあることだということは、風俗関係の店を幾つも持つ裕司ならいやというほど知っている。
だが、あんな年端も行かない子供にあそこまでの陵辱を加えるとなれば、寧ろヤクザが絡んでいない方が不思議といってもおかしくはない。
(ということは、買われた先から逃げてきたというのが妥当なところだが…問題は何処の組かってことだな)
一応、浜松ならば片岡組のシマである。だからここでどこかの組が幸斗に男娼紛いのことをさせていたというのなら、シマ荒らしとしてこちらが有利に談判することも可能だ。
だが、他の土地であれば、裕司が幸斗を匿うには何処でどんな問題になるか判らない。
ましてや、明らかに未成年と思える幸斗である。そんな子を売り物にするとすれば、それは秘密クラブのようなものが関わっている確率が高く、となればそのバックには極道以上に厄介な政治家や財界人もいる可能性は否定できない。
そんなものをつつくようなことになれば、逆にそれが片岡組自体の命取りにもなりかねないところであり、迂闊に手出しができないのは言うまでもない。
だが、それでも ―― 放っておくという選択肢だけは選びたくなかった。
もう二度と、幸斗をあんな目にだけはあわせたくないのだ。
そしてそれを自覚すれば、それがどういうことか判らないほどの鈍い人間でもない。
(ヤバイな。俺としたことが…これは、かなりマジってことか?)
まさかこの年で一目惚れもなかろうとも思うが、所詮きっかけなんてそんなものかもしれない。
幸斗を護ってやりたいし、できることならあの綺麗な顔に笑顔を浮かばせてみたい。
そんな甘ったるいことをヤクザの自分が思うなんてとも考えたが、それは紛れもない本心だった。
だから、
「あれ…は?」
自分が降りる浜松駅の一つ手前、静岡駅をゆっくりと新幹線が動き出したその時、ホームにどう見ても地元には思えないヤクザの姿を見つけた裕司は、何とも言えぬいやな予感を感じ取っていた。






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初出:2006.08.13.
改訂:2014.11.03.

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