Fugitive 09


幸斗の一日は、大半があてがわれた部屋の窓際で過ぎていた。
助けてくれた春也は、ホストという職業柄ほぼ昼夜逆転の生活をしている。
パターンとしては夕方になって仕事に出かけ、夜明け前に帰宅する。そして昼近くまで眠って、また夕方に出かけていくという生活だ。
そのため最初の頃は、幸斗の食事についてはあるものを好きなようにして食べていいと言っていたが、春也が眠っているのに音を立てるのも申し訳ないような気がしていたし、そもそも食欲など皆無に等しい。
だからと何もしないでいたら、見かねた春也が作り置きしていくようになっていた。
だが、それでも幸斗の食欲はこの世代の少年ではありえないほどに希薄で、殆ど手もつけないことが多かったので、
『折角作ったんだから、礼儀としても口くらいは付けるべきだろう? 全部食べろとは言わないが、それなりの努力は見せて欲しいな』
実際には無理に食べようとすれば吐き気を催す ―― 拒食症に近いところさえあったのだが、春也にそう言われてからは、少しずつではあったが食事も手を出すようになってきて、それにあわせるように少しずつ会話もするようになってきていた。
それに、助けてもらったという御礼の意味も込めてせめて自分にできることはと、身体の方が癒えて来てからはできる範囲での家事を幸斗がするようになっていて、
「春也さん…」
「ああ、コーヒーか。ありがとう」
その日も昼過ぎに目を覚ました春也が眠気覚ましのシャワーを済ませた頃を見計らってコーヒーを淹れると、少し遠慮がちに差し出した。
風呂上りでバスローブ姿の春也は、それは均整の取れた体をしている。
勿論、ホストクラブのナンバー1を自負するほどなのだから当然の美貌でもあるが、幸斗には眩しいくらいだ。
そう、自分のような薄汚れた人間が側にいてはいけないような気さえしてきて。
だが、
「今日は…ああ、オムレツか。結構器用だな」
幸斗が悪い方へと考え込もうとすれば、春也はそれを見透かしたように話題を変えてくれる。
「あ…はい、お口にあうと…」
「上手にできてる、頂くよ。幸斗も一緒に食べるだろう?」
「…はい」
春也は決して無条件に甘いと言うわけではない。
元々あれこれと構うタイプではないらしく寧ろ素っ気無いほどのものなのだが、それでも幸斗に対する気配りは申し訳ないほどに心地よい。
聞いてくるのも必要最低限のことだけで、実際に名前にしても、
「別に本名でなくてもいい。呼ぶのに使いたいだけだからな」
そう言ってくれたから ―― 咄嗟に偽名までは気が回らなかったので本名を名乗ったが、それでもまだ苗字はまでは応えてはいなかった。
幾ら瀕死の状態だったからと言っても、所詮は見ず知らずの他人である。
そのまま知らん顔で放っておいても誰も文句は言わなかっただろうし、それが普通だとも思っていた。
誰も助けてなんてくれない ―― それが、幸斗が一人になってから覚えた唯一のこと。
生きることを望むのなら、強者の言いなりになるしかなかった。
だから、その言いなりになることを拒否するには、生きることを放棄するしかなくて。
そう思って、その覚悟で飛び出したはずだったから ―― こんなに優しくされると、どうしていいのか判らないのだ。
決して春也を疑っているというわけではない。
寧ろ信じたいのだが ―― 今まで何度も手酷く裏切られてきたから、信じるということが怖いのだ。
「…幸斗?」
そんなやるせない思いに引きずりこまれそうになったとき、不意に春也が名前を呼んだ。
だが、幸斗がそれに返事をしようと顔を上げた、その時、
―― ピンポーン…
滅多に鳴らされることなどないインターフォンが、来客を告げる。それを訝しそうに聞きながら、
「…いいよ、僕が出るから」
そう言って春也は席を立つと、インターフォンのあるリビングへと向った。
その後姿を見ながら、幸斗は何か言いたそうに ―― だが何も言えずに再び俯いていたのだが、暫くして
「幸斗」
少し困った顔の春也がダイニングに戻り、溜息混じりに幸斗の名を呼ぶ。
「はい…?」
「相変わらず強引な人なんだから…嫌だったら、部屋に行っていていいからね」
「…え?」
それが何のことか咄嗟には判らず、少し首をかしげて不思議そうに春也を見ると、
「おいおい、それはないだろう? 折角、土産だって買ってきたんだぜ?」
そう言って春也の後ろから部屋にやってきたのは、先日もここにやってきた裕司だった。






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初出:2006.08.20.
改訂:2014.11.03.

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