Fugitive 12


店の前に立つと、顔見知りの黒服がすぐに頭を下げた。
「これは裕司さん、いらっしゃいませ」
「おうっ、邪魔するぜ」
咥えていた煙草を何気に渡せばそこは心得たもので、渡された黒服の男は顔色一つ変えずに携帯用の灰皿を出してもみ消す。
それはどう見てもなじみの客が来店したというようにしか見えないところで、実際によく来る客の殆ども、実は裕司がこの店のオーナーだとは知らないはずだ。
勿論、それには裕司自身、わざとそんな風に振舞っているというところもあるのは事実。
だが、
「あ、裕司さん、いらっしゃい♪」
明るい声で出迎えたのは、店のナンバー2でもある「俊彦(としひこ)」。勿論、源氏名である。
「聞きましたよ〜。今日は春彦さんと同伴だったんですって?」
思いっきり甘えるように裕司の腕に掴まると、俊彦はそのまま裕司をボックス席へと誘った。
因みに春彦というのは春也の源氏名であり、この店では正式なホストだけではなく、フロアのスタッフ全員に源氏名が与えられており、店内で本名を使うことは禁止となっていた。
それはともかく、
「ああ、駐車場までだけどな」
「いいなぁ〜、ねぇねぇ、俺もナンバー1になったら、同伴してくれる?」
「それは構わないが…」
まるで若いホステスがどこぞの社長にでも甘えるような仕草だが、こういった俊彦の甘え上手なところが年配の女性には気に入られているらしい。それに、
「あんまり、しげ…成海(なるみ)を虐めるなよ? あいつに睨まれるの、結構居たたまれないんだぞ」
そう言ってカウンターを見れば、そこでシェーカーを振っているバーテンダーと目があった。
そこはホストクラブであるから、フロアにいるのはどちらかといえば細身で華奢な体型の男が多い。
だがその中でも一際細いのがそのバーテンダーで、
「だって、成海ちゃん、俺に口説かれてくれないんだもん」
そんなことを俊彦が聞こえよがしに言えば、近くにいた女性客からは黄色い声が立ち上がっていた。
「まぁ俊ちゃん、相変わらずの大胆発言ねぇ」
「でも、成海ちゃんなら判るわぁ。私たちから見ても、本当に可愛いもの」
「がんばってね、俊ちゃん。私も応援してあげるわよ」
こういった自由奔放で開けっ広げな所が、姉御肌のマダムにはまた気に入られるところらしい。
そのため、春也とはまた違った意味での売れっ子であり、現在はナンバー2を維持している。
しかも客層が完全に異なるために春也とはしのぎを削るというわけではなく、寧ろ得意客の数だけを争えば、春也を抜いてダントツのトップでもある。
「うん、ありがとう、お姉サマたち。俺、がんばるからね♪」
そのため、店員同士の恋愛など本来であれば厳禁と言われるところのはずなのだが、それを応援しに通ってくる上客もいるためにほぼ黙認状態であるというのが現実のところだ。
尤も、それにはどんなに俊彦が露骨に口説いても、肝心の成海が落ちないでいるからというところも理由のひとつであるのも確からしいが。
しかし、
「ま、俺の方はいいとしてさ、虐めっ子なのは裕司さんもでしょ? ここのところ、裕司さんが春彦さんと仲良しだから、店長、かなりブルーだよ」
そんな事を裕司の耳に囁くと、俊彦は小悪魔的な笑みを浮かべて見せた。
自由奔放で好き勝手をやっているように見えて、結構俊彦は周りの状況を見ているらしい。
そのためチラリと見れば、奥のボックスでどこかの裕福なご婦人の相手をしている春也は、こちらのことなど全く気にしていないようにも見えるが ――
「…全く、どいつもこいつも素直じゃないからな」
「そーだね。でも、そんなところも可愛いじゃん?」
「お前も言うようになったな」
「まぁね。伊達にホストはやってないし。素直じゃないのを相手にしてるからさぁ」
ふざけた口調ではあるが、本心はそうでもないらしい。
そんな俊彦に苦笑を見せて立ち上がると、裕司は店の奥へと消えていった。






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初出:2006.08.27.
改訂:2014.11.03.

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