Fugitive 13


華やかなフロアとは異なり、奥の事務所や従業員用の控え室は至って機能的かつシンプルな造りになっていた。
その一画にある一層に無機質な部屋の壁一面には店の内外を映し出した複数のモニターがあって、
「邪魔しますよ」
ノックよりも先にその部屋のドアを開けた裕司は、本当に珍しいとも言える敬語であった。
だが、
「あれ? フロアで飲んでたんじゃなかったっけ?」
突然声をかけられたために少し驚いて振り向いたのは、こんな裏方にいることが勿体無いような笑顔の綺麗な男。
その男に苦笑を浮かべながら、裕司は後ろ手にドアを閉めながら部屋に入った。
「俺が飲んでたんじゃあ、売り上げにはならないですからね」
「そんなこと気にしなくていいのに…って訳にもいかないか。オーナーだもんね」
そう言ってニッコリと微笑んだ男は、華やかなフロアのホスト達とはまた違った雰囲気を持っている。
どちらかと言えば癒し系。
ただ同じ水商売でも、夜の華であるホストクラブよりは、こじんまりとしても暖かな日差しのある喫茶店の方が似合いそうだ。
そんな男が、やはり陽だまりのような笑顔を向けながら、
「狭いけど、座ってよ。コーヒー位しかないけど…飲む?」
そう言って立ち上がると、
「あ、いいですよ、俺が淹れます。中谷先輩は座ってて…」
慌てて裕司が座りかけた椅子から立ちあがった。
しかし、
「大丈夫だよ、このくらいなら。裕司は相変わらず心配性だねぇ」
そうなんでもないようにクスクスと笑いながら、中谷と呼ばれたその男はコーヒーメーカーの置かれたサイドテーブルへ、ゆっくりと近づいた。
中谷が座っていた場所からテーブルまでは、ほんの数メートル。
しかし、そこまで辿りつくにも彼は手ぶらではなった。
その右手にはワインカラーのステッキが握られており、僅かだが左足を引きずるように歩いていた。
しかも決して広い部屋ではないのに乱雑に色々な物が置かれているから、ステッキを突きながらでは、見ているほうがヒヤヒヤとするというものだ。
だが、そこは既に手馴れたものだ。
中谷はカップから一滴もこぼすことなくコーヒーを裕司に差し出すと、再びモニターの前にある回転椅子に腰を下ろした。
実際に裕司も何度かこの部屋の改装を提案したことがあるのだ。
だがそのたびに、どうせ広くするならスタッフの控え室や厨房をと言われ、結局この部屋だけが取り残されてしまっていた。
尤も、本来ならば中谷がいるべくは、広さはこの部屋の倍以上で置かれた調度品は10倍以上に豪華な店長室のはずである。
何故なら彼 ―― 中谷弘明は、このホストクラブ『Misty Rain』の店長であったからだ。
ところが、中谷がその店長室を使うことは、それこそ月に1度あるかどうかというところで。
「全く、こんな穴倉みたいなところに篭ってばかりで…」
そんな風に裕司が呟くのも尤もなところである。
しかし、
「穴倉とは酷いなぁ。僕には最高の場所なんだよ。ここなら、一目でお店の様子も確認できるからね」
「そんなの、2階にもモニターをつければいい話じゃないですか」
「やだよ、2階だと階段の上り下りが面倒なんだから」
「だからエレベーターをつけましょって言ったじゃないですか」
「だって、それだと皆の控え室が狭くなるんでしょ? そんなのダメだよ、皆ががんばってお仕事してくれているから、お店がなりたっているんだもの」
そう言って、いつも気にするのは自分のことよりも他人のことである。
元はといえば、中谷は裕司の高校時代の先輩である。
当時から機械好きでそれが高じてバイクのチームを作っていたのだが、ある日事故を起こして左足をダメにしてしまった。
しかし、生来の人当たりの良さと調和性、それに人を見る目がしっかりしているということを高く評価していた裕司が、この店を開くに当たって店長を ―― 半ば強制的に ―― 頼み込んだというのが経緯である。
実際に接客業であるから、ホストの方も何かとストレスや不満を訴えることがあるものだ。
それにどうしてもこういった世界では店での順位争いなども熾烈になるところなのに、そんな争いも中谷に話を聞いてもらっただけでそれが解消されるというのだから、得がたいものだ。
お陰で、元々税金対策のような感じで開いた店だったためにあまり売り上げには気にしないつもりだったのに、どことなく纏わる和やかな雰囲気が好まれるのか、いくつか裕司が管理している店の中でも、常に1、2位を争う売り上げを叩き出していた。
しかもこの店は完全に組とは関係のない経営となっている。
流石に風俗業であるから先日のような力仕事もあることはあるが、それも組員にはしていない連中に担当させており、その指示は基本的に中谷が直接行うようになっている。
つまり、そのためにもここでモニターを監視しているということもあるのだが、
「全く、店長自らが警備までするなんて。専属を雇えばいいでしょうに」
「でも、やっぱり何かあったときの責任とかってことを考えたら、僕が見る方が早いからね」
そんな風に言っていた中谷だったが、
「そうそう、この前の…春彦の件はありがとう。大事にならなくて助かったよ」
そう礼を言った声は、どことなく震えているような気がした。






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初出:2006.09.03.
改訂:2014.11.03.

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