Fugitive 15


今年のGWは1日平日に休みを取れば7連休という巡り会わせで、『Misty Rain』もその予定になっていた。
基本的に、一般のサラリーマンやOLが会社の帰りに寄れるというのがこういった店のスタイルである。
そのため肝心の客である一般人が休みの時には、店を開けていても売り上げの見込みは少ないのだ。
そのため、
「ねぇねぇ、今年のGWにはさぁ、どっかに遊びに行こうよ♪」
明日からはそのGWに関連して7連休というその日、いつもより若干少ない客の様子に手が開いた俊彦はカウンターに入り浸って、中にいるバーテンに話しかけていた。
相手は当然のごとく、先日から大っぴらに口説いている、成海である。
「しげ…じゃない、成海ちゃんも特に予定はないんでしょ? いい穴場を知ってるんだよね。一緒に行こうよ」
ホストの戦闘服ともいえるスーツに身を包みながら、そんな風に口説く相手が同じ店員というのはどうしたものかとも思われがちだが、今は直接ご指名してくれる客もいないというのも事実だ。
それならば少しでも時間を無駄にしたくはないというのが俊彦の考えらしいが、指名はなくても客がいないわけではない。
だから、
「…いい加減にしろ。仕事中だ」
流石にいつまでもここでサボらせてはいられないと思ったのか、成海は目を合わせずに不機嫌そうに呟いた。
ところが、そんな成海の態度でも、
「判ってるよ。だから、成海ちゃんがOKって言ってくれたら仕事に戻るって」
たとえ不機嫌で露骨に迷惑そうという顔であっても、自分の話に応えてくれたということだけでも嬉しいようだ。
俊彦はニコニコと本当に嬉しそうに話しかけているので、同じスタッフ達もつい口が出せないでいる。
それに、なんと言っても俊彦はこの店のナンバー2。
文句を言えるとしたら、ナンバー1である春彦か、あとは店長の中谷などの経営幹部クラスくらいしかいないというのも事実だ。
しかし、
「大体、なんで俺がお前と付き合わなくちゃいけない?」
本来であれば、バーテンというのはホストより格下に見られるもの。
それだから下手に稼ぎ頭のホストを怒らせたりすれば、それこそクビにされても文句は言えないところだ。
実際に他のホストやヘルパーには年齢の差も気にせず敬語で話す成海だったが、流石に俊彦のしつこさには腹が据えかねたのか、低い声でさも嫌そうにそう突きつけた。
「GWは郷里に帰る。父さんとお祖父様の墓参りをして…法事のことでも本家と打ち合わせしないといけないからな」
そう眼もあわせずに言い放つと、途端に俊彦の態度が豹変した。
「何それ。俺と一緒にいるより、死んだヤツの方が大事なわけ?」
まるでカウンターに乗り上げる勢いでそう言い寄ってきた俊彦の表情は、いつもの愛想などどこへ行ってしまったかと思うほどに険しくて、流石に成海もビクリと息を呑む。
しかし、
「別に…どうしても一緒がいいなら、お前もくればいいじゃないか」
突然の勢いに後ずさりしそうでも何とか踏ん張ってそう告げると、逆にそれさえも俊彦には癇に障ったらしい。
「誰がっ! 誰があんなところに行くかよっ! アンタ、判ってて言ってるのかっ!?」
そう言うなり、俊彦は成海の胸倉に掴みかかってきた。
―― ガシャーン!
成海の手からカクテルグラスが滑り落ち、引き裂くような音ともに粉々に砕け散る。
と同時にフロア中が水を打ったようにシンと静まり返り、全員の視線が集中した。
「や…やめろよ、寿樹(としき)。離せって…」
怯えた成海は咄嗟に俊彦を本名で呼んだが、それにはお互い気が付いていなかった。
勿論、フロア中の視線を集めていることも ―― だ。
だから、
「アンタが…アンタがそんなことを言うから…っ!」
「 ―― っ!」
殴られる ―― と成海が思ったその瞬間、
「いい加減にしろ、俊彦。兄弟喧嘩なら外でやれ」
そう言って振り上げた俊彦の腕を難なく止めたのは、裕司だった。
「全くお前は…」
裕司の言いたいことは、イヤというほどに判っている。だが、頭で理解するのと感情が納得することはベツモノなのだ。
特に ―― 祖父の名前が出ると、尚更で。
そしてそのことは裕司もよく知っていた。
だから、
「俊彦、煙草を買ってきてくれ」
内ポケットの財布から千円札を取り出すと、裕司はそれを俊彦に渡した。
「何で俺が!」
通常こういうことは、ヘルパーの若い子がやるべきものだ。
ナンバー2でもある俊彦にやらせるというのはプライドを傷つけかねないところ。
しかし、
「いいから…ちょっと頭を冷やして来い」
そう言われてポンポンと背中を叩かれると、まるで自分だけが子供扱いされているような気がして。
それも癪だから、出された千円札を奪うように取ると、そのまま店を出て行った。






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初出:2006.09.10.
改訂:2014.11.03.

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