Fugitive 16


店の裏から外に出て途中の自販機で煙草を買うと、俊彦 ―― 寿樹(としき)はそのまま店には戻らず、近くの公園に向かった。
公園といってもみすぼらしいブランコとベンチがあるくらい。あとは地面が舗装されていなくて申し訳程度に植樹がされているというくらいのものだ。
そんな小さな公園の野ざらしになっているベンチに腰を下ろすと、そのまま買ってきた煙草の封を切った。
元をただせば裕司に買っていくはずだったが、そもそも銘柄からして自分の好みを買っている。
それに、煙草云々なんて単なる名目にしか過ぎないことくらいは判っていたから、最初から自分用にしか考えていなかったというのは言うまでもない。
―― カチッ…
少し細身の煙草を咥えて、いつもはお客に向けるライターで火をつける。そして
「…ったく、情けねぇ…」
思いっきり紫煙を吐き出すと、寿樹は自己嫌悪を振り払うように天を仰いだ。
『兄弟喧嘩なら外でやれ』
そう裕司に言われた言葉が耳に痛い。
寿樹と成海 ―― 本名は成樹(しげき) ―― は、今では苗字が違うがれっきとした実の兄弟だ。
数年前に両親が離婚したので兄である成樹は父方に、寿樹は母に引き取られており、その際に寿樹は苗字も変えさせられた。
その上、どんなに泣いても喚いても成樹に会うことは許されず ―― 10年も我慢して、やっとこうして会えるようになったのだ。
そもそも再会できたのは本当に偶然で、神様なんて絶対に信じない寿樹でも、そのまま洗礼でも入門でもしていいと思うほどに会わせてくれた何かに夜通し感謝したくらいだ。
しかし、こんな日が来るということをどれだけ寿樹が願っていたかなんて、きっと成樹は知らないのだろう。
いやそれどころか、成樹は自分には会いたくなかったのかもしれない ―― と。
基本的にはポジティブ思考の寿樹でさえそう思ってしまいそうなほどに、成樹はずっと他所他所しかった。
そんな態度に苛ついているうちに、自分もまた成樹のことを兄としてではなく、一人の人間として欲しいと思うようになっていたことに気が付いたのだ。
それが、真面目な成樹には納得できないのかもしれない。
そもそも男同士 ―― その上、実の兄弟だ。常識を嫌というほど押し付けられてきた成樹には、越えられない禁忌であることは間違いない。
だからこそ、あんなに冷たくできるんだ ―― と。
だが例えそうだとしても、気が付いてしまった自分の感情を殺すことは、寿樹にはできなかった。
(絶対に手に入れてみせるさ。10年前のガキとは違うんだからな)
だがまずは ―― 先ほど掴みかかってしまったことを謝るのが先で。
そう思えばこんなところで無駄に時間を費やすのは勿体無いというものだ。
(仕方ないか。まぁGWは諦めるとして…夏までには口説き落としてやるぜ、絶対に!)
そう気持ちを入替えて店に戻ろうとした、その時、
「しょうがねぇよ。こうなったら…代わりになりそうなヤツを捕まえて、仕込んだほうが早いんじゃないのか?」
「そうだなぁ。手ぶらで帰るよりかは、その方がまだマシかもしれねぇな」
そんな風に怪しい話をしているいかにもチンピラ風の男達と出くわしてしまっていた。



その少し前の『Misty Rain』では ――
寿樹が出て行くと、そこは接客のプロである。残ったスタッフ達はその腕前の見せ所というように和やかな雰囲気を取り戻すことに成功していた。
そんな中で一人だけ青ざめた表情でいた成海 ―― 成樹に、
「…大丈夫か?」
そう声をかけたのは、助けてくれた裕司だった。
「…はい。すみません、お見苦しいところを…」
掴まれた胸元を直しながら、成樹はそう言って謝ったが、
「見苦しくなんかないだろ? 可愛いものじゃないか」
そんな風に言う裕司は、どこか楽しそうだ。
「裕司さん…」
「だって、そうだろ? あれだけお前に惚れてますって言ってるようなものだ。違うか?」
「…」
そのことは、成樹も痛いほどに判っていた。
寿樹がどれだけ自分のことを好いていてくれるのか。
そして、自分もまた ―― 。
だが、
「ふざけないで下さい。アイツとは…男同士って言うだけでなく、実の兄弟なんですよ」
男同士というだけでも禁忌であるのに、同じ母の腹から生まれた、同じ男を父親とする実の兄弟である。許されるものではないはずだ。
しかし、
「別に男同士だろうが、兄弟だろうが関係ないと思うがな」
そんな風に言う裕司は、確かに男相手に浮名を流していることでは有名だ。
それこそ一夜限りの相手もゴマンといるといわれ、気にしないというのは事実かもしれない。
それでも、
「それは…裕司さんは当事者じゃないからそんな事を言うんですよ。それに寿樹だって、今は10年ぶりに逢えて興奮しているからあんなことを言っているだけです。もうちょっと時間がたって落ち着いてくれば、単なる甘えだって気が付きますよ」
そうだ。寿樹ほどに社交的で人懐っこい性格なら、わざわざ自分のような面白みにかけるような相手ではなくもっと付き合いたがる者はいるはずだ。
それこそ、男女を問わずに ――
そう思えば、自分ほど不釣合いなものはいないだろうと益々思えて、成樹は痛む胸を押さえるようにしゃがみこみ、砕けたグラスの破片を片付け始めた。
おそらく、このまま寿樹に流されてしまったら、いつか飽きられたときに自分はこのグラスのようにきっと粉々に砕けてしまうだろう。
それも砕けるのではな、その破片で寿樹自身をも傷つけてしまう ―― と。
そう思ったとき、
「馬鹿、お前…何やってるんだ!」
「えっ? あ…っ痛」
裕司に肩をつかまれて、初めて自分がグラスの破片を握り締めていたことに気が付く。
勿論そのキラキラと輝く鋭利な部分は、成海の白い肌に線を描き、紅の血を滴らせていた。
「しっかりしろよ、全く…。お前まで無茶をするなよ」
ゆっくりと握り締めた手を開かせると、幸い、切ったのは手の平に数箇所のみ。
細かい破片も入った様子はないが、ただ切れ味が良かったせいか、少し抑えていないと出血は止まりそうにない。
そこで咄嗟にカウンターにあったナプキンで止血をすると、
「全く、ぼんやりするにも程があるぞ?」
「…すみません」
消え入りそうなほどに小さな声で謝罪するが、どこかその心はここにあらずというようだ。
その理由は ―― 裕司は気が付かないほどの鈍感ではない。
(全く、どいつもこいつも…素直じゃないんだからな)
但しその中に実は自分も入っていると言うことはこの際置いておいて。
とりあえず手当をと、手近にあったナプキンでギュッと傷口で縛ると ―― その時、裕司の携帯が着信を告げた。
「誰だよ、この忙しいときに…」
そう文句を言いながらも着信を見れば、相手は ―― 今日も護衛がてら付いてきていた大前で。
何事かと思った裕司は、後の手当はヘルパーの若いやつにやらせると、携帯を耳に当てた。
「どうした? こっちも今手が離せ…何? 寿樹が襲われた?」
その声を聞いた瞬間、成樹は手の傷から体中の血が流れ出てしまったかのように真っ青になっていた。






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初出:2006.09.10.
改訂:2014.11.03.

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