Fugitive 18


寿樹がチンピラ風の男達と派手にやりあった2日後、浜松に拠点を置く片岡組にとある男が訪れていた。
その男は、年の頃は30代後半といったところか。
短く刈り上げた髪に精悍な顔つきで、190に近い身長に鍛え上げられた身体は、その身ひとつで人間の首もへし折ってしまいそうな逞しさだ。
まさに、目の前にすれば壁が立ち塞がったかのような体格である。
そんな男を片岡組の応接室に通されて待たせること約1時間。
これ以上待たせては怒り狂って暴れだすのではないかと若い衆がビクビクしていたところであったのだが、外に出ていた裕司が戻り、組長で父親でもある片岡司郎とともに部屋に入ると、
「このたびはウチの若いのが大変失礼いたしました」
こういう大きな体格の男に立ち塞がれると、それなりに威圧感を自然と感じるものでもある。
だが頭を下げた様子は真摯そのものであり、そこに他意はなさそうだった。
そのため、
「まぁ立ったままでは話もしにくい。座ってくれんかなぁ、向野さんや」
そう司郎が鷹揚な口調で勧めると、その男 ―― 向野も静かに席に着いた。
向野篤志。小さいが向野組と言うれっきとしたヤクザの組長である。
しかし、同じ組長でも司郎と比べれば親子ほどに年が離れているし 、ましてや今回は身内の不始末の詫びである。
そう、先日、寿樹を襲ったチンピラはこの向野の手下であったようで、そのことでわざわざ組長自らが謝りに来たと言うことであった。
「わざわざ若いのの不始末に組長自ら詫びに来るとは、中々立派な心掛けだな」
しかも、片岡組と向野組は特に敵対しているというわけでもないが、組長自らが出向いた上に、供らしい者はここまで車を運転させてきた若い男一人だけのようで。
義理と人情には厚いということは、一昔前のヤクザ映画では盛んに語られていたところではある。
だが、それも今となってはかけらも残っていないというのが今の世の中であるというのに、昔堅気の気質が強い司郎には今回の向野の態度は好ましく思えたようだ。
「恐れ入ります。何分、自分はまだ若輩ですので」
「ははは…お前さんが若輩なら、ここにいる儂の倅なんぞ、赤ん坊のようなものだわ」
「…俺を引き合いに出すなよな」
組とは切り離した経営とはいえ、『Misty Rain』のオーナーは裕司である。
そのため、向野が謝罪に来ていると言われれば、その席に裕司が同席しないわけには行かないというものだ。
いや本来なら、裕司に詫びに来ればいいだけで、わざわざ片岡組の組長である司郎までもがしゃしゃり出てくることはないはずである。
それを、
「最近の若いのは礼儀を知らんからなぁ。ヨソのシマに来て我が物顔とは…。儂らの若い頃では、考えられんことだわ」
そんな風に、クドクドと言ってみせるのは、一応ヤクザの対面というものである。
「はい…今回の件は自分の不徳です。これは些少ではありますが、お納め頂けますと助かります」
そう言って向野が差し出したのは、アタッシュケースの札束である。
ざっと見て ―― 一千万といったところか。少ない金額ではないが、シマ荒しの侘びとすれば高い金額でもないところだ。
「申し訳ありません。何分、GWで金融も休みときておりますから…」
そういう向野の言葉であるが、おそらくそれは事実というところだろう。
組の規模からすれば、向野の組は片岡組のような完全独立ではなく、とあるグループの下部組織に過ぎない。すぐに動かせる現金など、たかが知れているというものだ。
尤も、別に片岡組としては金が欲しくて司郎がしゃしゃり出てきたわけではないのだ。
あくまでも筋と建前のためであるし、そもそも、
「まぁ今回は、幸いこっちにも大した損害はなかったからな。そうだな、裕司」
「…ああ、幸い顔に怪我はしていないし、店の方もGWで休みに入っているからな」
という答えは、決して間違いではないが全てでもない。
今回の騒ぎで、寧ろ怪我をして叩きのめされたのはチンピラ達の方だ。
肝心の寿樹は着ていたスーツを少し切られたくらいで、身体の方は全くの無傷である。
それどころか、ストレス発散になった上に予期せぬオマケまで付いて ―― 今頃はさぞかしいい思いをしていることだろう。
それを考えれば金など要らぬと言ってもいいところだが、ここで受け取っておけばこの件はこれで終りにすることもできる。
(まぁ迷惑料ということにしておけば、いいな)
ついでに仮にもヤクザ相手に派手に立ち回ったので、ほとぼりが冷めるまでは寿樹を休ませるとすれば、その穴埋めでプラスマイナスゼロというところだろう。
「そうだな。じゃあこれは遠慮なく受け取っておこう」
「ありがとうございます。それで…」
「ああ、騒ぎを起こした若い奴らのことだな?」
仮にも組の息のかかった者に手を出したのだ。当然、その身柄は片岡組で確保している。
尤も、既に寿樹にかなり手酷く叩きのめされているので、新たに私刑などは行われておらず、
「こっちに連れて来るように手配している。そろそろ着く頃だろう」
そう裕司が応えると、それを待っていたかのように到着したと連絡が入った。
となれば、向野もこれ以上の長居は必要ない。もう一度謝罪の言葉を述べると、席を立って引き上げようとした。
そこへ、
「ところで…一つ聞きたいことがあるんだけどな?」
ドアを背にして立ちあがった裕司は、探るように向野を見ながらそう声をかけた。
「今回の騒ぎを起こしたチンピラどもは、自分たちを金光組の舎弟だと言っていた。だから俺は金光組に連絡をいれたはずだ。それが、なんであんたが来ることになったんだ?」
そうあの連中は、正確には向野の親組織である金光組の構成員で、特に金バッチをつけていたリーダー格は向野にとっては兄貴分にあたる茂木という男の息子だった。
本来なら、その辺りも考慮して茂木が来るのが当然のところ。だが、
「今回の件は金光組から自分が受けております。ですが自分の組の者だけでは手が回らないので、金光組より若いのを借りておりました。ですから、その不始末の責は自分が負うものと思っております」
おそらくそれは聞かれるだろうと予測はしていたのだろう。
向野はまるで練習してきたかのようにそう答えたが ―― その表情は務めて冷静を装っているとしか思えない。
そして、
「ふぅ〜ん、今回の件ねぇ。そういえば、あの連中は『探しモノ』が見つからないからとか云ってたが、なんなら俺も手伝ってやろうか?」
そんなことを裕司が言い出してニヤリと不敵な笑みを浮かべると、流石に向野も一瞬驚いたような顔を見せた。しかし、
「いえ、この件は既に片が付きましたので…こちらのお手を煩わせることではありませんよ」
「片が付いた…ね。それなら俺の出婆張ることじゃないな」
不意に洩れたような苦笑を浮かべて出て行く向野の背中に、裕司はそう呟いていた。






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初出:2006.09.17.
改訂:2014.11.03.

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