Fugitive 21


GWも過ぎて5月も半ばになると、郊外に位置する春也のマンションの周りも一気に緑に包まれてきていた。
「ふぅ…気持ちいいな」
ベランダに出て洗濯物を干していた幸斗は眼下に広がる緑を眺めながら、薫風を満喫していた。
この部屋に置いてもらうようになって、そろそろ1ヶ月になろうとしている。
既に身体の傷はパッと見では判らなくなっており、心の方も死ぬことだけを考えていたあの時のことが嘘のように穏やかに落ち着いている。
勿論、全てを忘れてしまえるほど安易なものでもなく、このままでいることにも戸惑いは感じ始めていた。
(…どうしよう。このままずっと…って言うわけにはいかないだろうし…)
住み込ませてもらっている春也は店でもナンバー1と言うだけあって生活には苦労していなく、幸斗一人くらいが転がり込んでも何の問題もないようでもある。
だからといってこのままというほど、厚顔なことはできる性分でもなかった。
一応今は家事くらいはやらせてもらってはいるが、それだって通常の家政婦などの仕事から比べればかなり楽な方だと思う。
しかし、だからといって出て行くだけの度胸も幸斗にはなかった。
出て行ったところで、行く宛だってあるはずもない。
それどころか、組織に見つかってあの地獄に戻されることの方が確率は高いということも判っている。
いやそれどころか、ここにいることが組織にバレたら ―― ここまで良くして貰った春也にまで迷惑がかかるということも嫌というほど判っていた。
それでも、
(見つかる前に、出て行かなきゃ…でも…)
いつまでもここには居られないと判っていながら、こんなに優しくしてもらったのはあの事件以来初めてのことだった。
それが余りにも心地よいから、つい甘えてしまっているということは痛いほどに判っている。
それに ――
―― ピンポーン
「ああ、いいよ。僕が出るから」
不意にインターフォンが来客を告げて、リビングで本を読んでいた春也が玄関に向かう。
それをベランダから何気なく見ていた幸斗だったが、
「…また来たんですか? 余程暇なんですね」
「煩いな。ちゃんと土産だって持ってきてるんだから、文句言うなよ」
そんな呆れるような春也の口調など気にもせず当然のように部屋に上がりこんできたのは、唯一ここに幸斗いることを知っている裕司だった。
ヤクザの跡継ぎということだが、幸斗の知っているヤクザとはとても同じには見えない。
寧ろ、春也と同じホストかメンズモデルかと思えるほどに格好良くて。
そんな裕司と眼が合った瞬間、幸斗の胸がドキンと跳ね上がった。
しかも、
「よぉっ! 元気だったか?」
「…は、はい…」
くしゃっとまるで幼い子供相手のように頭を撫でられると、幸斗は恥ずかしそうに俯くしかできなくて。
だが、そんなスキンシップも嫌がっている素振りは全く無い。
それを、
「何が元気だったか、ですか。昨日も来たくせに」
そう呆れたように言う春也だが、それは決して冷たくは無い。
寧ろどこか微笑ましいというか ―― まるで可愛い弟に対する兄の保護欲のような感じだ。
だがそんな春也よりも、
「昨日は昨日、今日は今日だもんな、幸斗」
本当に可愛くて仕方がないというように構いたがる裕司に、幸斗は真っ赤になって俯くだけだ。
そのため、
「あ、あの…僕、まだ洗濯の途中ですから…」
そう取ってつけたようにスルリと裕司の側から逃げると、幸斗はドキドキと音を立てる胸を抱えて部屋の奥に逃げてしまった。
その時ふと見せた頬が真っ赤に染まっていて、長い前髪に隠されていた目元もどこか嬉しそうだったことを、春也も裕司も見逃してはいない。
そこはホストでもある春也だ。幸斗の方も満更でない事は気が付いている。
「全く…あまり揶揄わないでやって下さい」
「揶揄ってなんかないさ。結構、マジなんだけどな」
そう応える裕司に、春也は訝しそうなため息を一つついて見せていた。






20 / 22


初出:2006.10.01.
改訂:2014.11.03.

Studio Blue Moon