Fugitive 22


バスルームに逃げ込むと、幸斗はドキドキと高鳴る胸に戸惑っていた。
ただ、頭を撫でられただけ。
子供のように構われただけだというのに ―― 心臓の音が周りの人に聞こえるのではないかと思うほどにドキドキとしている。
「…なん…で?」
そう自分に問いかけてみれば、答えは既に判っていた。
自分を助けてくれたのは春也で、気が付いたときにはどうして放って置いてくれなかったんだろうと思わなかったわけではない。
あの時は本当に消えてしまいたくて、それさえ適わなかったことが、自分には自由に死ぬこともできないのかと思い知らされたような気もしていた。
だから、動けるようになっても何もする気が起きなくて。
生きることも死ぬことも、何もかもがどうでもいいと思っていた。
でも今は ――
(…裕司さん…)
自分よりもずっと大人で、まるで子供のように可愛がってくれて、甘やかせてくれる人なんて初めてだった。
春也が言うにはヤクザだということだけれども、そんなことはとても信じられない。
あの人たちと同じだ何てとても思えないし、同列に考えるなんて出来るわけもない。
『まぁ、ヤクザっていってもピンからキリまでいるのは確かだからね』
そう言った意味ではヤクザには思えないとは春也も言ってはいたが、そんなことは幸斗もよく判っている。
ただ ―― 倒れたときにそっと抱きしめてくれた腕が優しかったから。
(…裕司さん…)
この感情がどういうものなのかは判らない幸斗ではない。
側にいるだけでドキドキとして、声をかけられるだけで頬が熱くなって、触れられるだけで ―― 。
しかし、
「あ…」
何気なく顔を上げると、洗面所の鏡に映る自分の姿があった。
長い前髪で顔の半分以上を隠した姿は、まるで浮浪者のようと言っても過言ではないようで。
やせっぽちで貧相な体格は、すぐ向こうの部屋に居るあの二人とは比べるどころか一緒に居ることすら間違いではないかと思えるほどにみすぼらしい。
忘れたわけではない。
春也に助けられたときの傷は殆ど治ってしまったとはいえ、この体がどんなに汚れているか。
手当てをしてくれた春也は当然のこととして、おそらく裕司だって自分が今までどんなことをして生きてきたのかを薄々は気が付いているだろう。
でもそれは間違いないはずなのに、裕司も春也もそんな素振りは全く見せないから、それを良いことに自分も知られていない振りをして。
(…ずるいな、僕…。)
甘える立場でもないはずなのに。
甘えさせてもらうことすら、申し訳ないのに。
そもそも、自分のようなモノがここにいて良いはずが無いことは痛いほどに判っていた。
それでも ――
「幸斗? 大丈夫か?」
心が張り裂けそうな悲鳴を上げようとしたとき、不意にドアの向こうから春也が声をかけた。
「裕司さんがケーキを買ってきてくれてるんだが…どうする?」
そうかけてくれる声は、素っ気無いようでもあるが押し付ける気もなくて。
そんなさりげない優しさにまで、涙が出そうになる。
だから、
「はい…今、行きます」
そう素直に返事をすると冷たい水で顔を洗って、幸斗は暗い思いを心の奥にしまいこんでリビングへと向かった。






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初出:2006.10.01.
改訂:2014.11.03.

Studio Blue Moon