Fugitive 30


自分でも自覚できるほどに赤らんでいた頬が漸く落ち着いた頃になって、幸斗はそっとリビングへと姿を現した。
すると、
「おはよう、幸斗君…だよね?」
ダイニングには裕司と春也が席についていて、その奥のキッチンには見慣れない男の人が朝食の準備をしていた。
ふわりと微笑んだ表情が本当に柔らかくて、どうしても人見知りをしてしまう幸斗でも咄嗟に怖いと思わないくらいに自然体で。
「え? あ、はい…?」
「僕は中谷弘明。よろしくね」
そう言って更にニッコリと微笑まれると、全く警戒心など浮かぶ隙も無い。
そういえば先程裕司がもう一人泊り客がいたと言っていたと思い出せば、
「俺の高校時代の先輩で、今はうちの店を任せているんだ。昨夜は…まぁちょっと盛り上がっちゃって、ここに泊まったってわけだな」
そう裕司が説明をしてくれた。
裕司の先輩といえば勿論この中では一番年上ということになる。
だが、そんな感じは全くなくて、寧ろ春也よりも幼くさえ見えそうだ。
しかも、
「…何が盛り上がったですか。弘明にアルコール飲ませた張本人が!」
「ふぅ〜ん、そういうこと言うんだ、お前」
「事実でしょう? 弘明がアルコールに弱いことは、貴方が一番良く知ってるはずじゃないですか。全く、何を企んで…」
どうやら泊まる原因となったのは裕司がアルコールを飲ませて弘明が酔ったからということらしく、そのことを春也は良く思っていないようだ。
だがそうやって怒っている春也の態度はいつもの冷めたような冷静さとは全く異なって、幸斗自身、初めて見る姿だった。
そう、これではまさしく ―― と幸斗でさえそう思ったくらいで。
「いいねぇ〜、『弘明』って、呼び捨てかよ。一晩で随分とお熱いじゃん?」
そんなことを裕司がさらりと言えば、流石に春也も弘明も慌てて顔を赤らめた。
「な…裕司さん!」
「裕司っ!」
そうして春也と弘明がお互いを見合って、まるで照れあうように視線を逸らしたりすれば、どんなに鈍感な人間だって察するというものである。
その上更に、幸斗を手招きして、
「ということで、この二人はそういう仲だからな。邪魔すると馬に蹴られるから、幸斗も気をつけろよ」
「裕司っ!」
そんなことを言うものだから、弘明は更に真っ赤に頬を染めると、思いっきり裕司を睨みつけた。
勿論そんな表情で睨まれても、裕司には痛くも痒くもないところだ。
それどころか、
「な、こんなラブラブを見せ付けられるのはイヤだよな。良かったら、俺のところに来てもいいぞ。部屋ならいくらでも用意するし、何なら俺と一緒でも…」
突然何を言うのかと思えばそんなことを囁かれて。
しかも、「ご希望なら、いつでも腕枕くらいしてやるし」なんて言われれば、今度は幸斗の方が真っ赤になっている。
やっと落ち着いたと思ったのに、ついさっきのことを思い出して。
目が覚めたら大好きな人に見つめられていただなんて ―― 心臓が飛び跳ねそうだ。
だから、
「え? あ、そんな…僕、ちょっと顔を洗ってきます!」
弘明たち以上に真っ赤に茹でタコのように染まった頬が恥ずかしくて、幸斗は逃げるようにバスルームの方へと走り出した。それを、
「ね、可愛いでしょう? 俺がこんなに真面目に口説いてるのに、春也は信用してないんですよ」
そんな風に弘明に説明している裕司だが、大げさなほどに大きなため息をついた春也は、
「…って、それが狙いですか。本当に油断も隙もないですね」
どうやら裕司が本気であることは納得したようだ。
だがまだどこか危ういところのある幸斗を思えば、今はまだ裕司に任せてしまうのが不安なのだ。
そう春也には、一度守ろうと心に誓ったのに、守りきれなかった弟がいたから。
しかし、
「まぁ、仕方がないな。とりあえず例の件が片付くまで、俺はここへの出入りを控えておく。先輩にはすみませんが、幸斗のことをお願いします」
そうやって不意に見せる真剣なところには、あの時の自分にはなかった強さを感じる。
それに、
「とりあえず、幸斗君を外に出さなければいいんだね。判った。だけど、なるべく早く片付けてあげてよ。裕司が来てあげないと、幸斗君だって不安になるだろうからね」
そう言ってニッコリと微笑む弘明に、春也もこれ以上は何も言わなかった。






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初出:2006.11.11.
改訂:2014.11.03.

Studio Blue Moon