Fugitive 31


それから暫くは『Misty Rain』にも、当然、春也のマンションにも近寄ることもなかった裕司であり、それは幸斗の件が持ち上がる前に戻ったかのようだった。
しかし、裏では裕司は次の手を次々と進めており、特に金光組と水谷議員との関係については念入りな注意を払っていた。
そんな折に、
『ちょっと話があるから、こっちに顔出せ』
そんな電話が蒼神会の加賀山からあり、裕司は訝しく思いながらも東京に向かった。



「そっちも何かと忙しいようだが、呼び出して悪かったな」
通されたのは、新宿にある蒼神会の本部ビルにある「執務室」。勿論その部屋の主は、藤代組三代目組長である藤代龍也であった。
「珍しいな、三代目直々のお呼び出しか? 俺も箔がついたな」
そう言って裕司が太々しそうにソファーに座って足を組むと、重厚なデスクの席にいた龍也は、思い切り嫌そうな顔をして呟いた。
「フン、わざわざ呼び出すことでもないとは言ったんだがな。加賀山の趣味だ」
蒼神会と片岡組では、組織の大きさでは雲泥の差がある。
しかし、立場上はあくまでも同格となっているから、お互いに上下は意識していなかった。
ましてや、裕司と龍也とでは古くからの付き合いもある。
公式の場でならばともかく、こういった状況では下手な社交辞令で時間を費やすよりは余程効率がいい。
実際に、
「片岡組と蒼神会が懇意ということを見せつけるには悪くないと思いますので。まぁ、それをどう解釈するかはそれぞれの自由ですけどね」
そう言って裕司の正面に座ったのは、蒼神会本部長の加賀山であり、龍也はそのままデスクに居座ったままだし、側近の澤村もその隣に立ったままだった。
そして片岡組側としては裕司がただ一人。
仮にも裕司は次期片岡組の跡継ぎであれば、側近の一人くらいも連れるのが常識であるが、そういったところも気心知れた仲ならではである。
しかし、
「言っておくが、俺は回りくどいやり方は好まない。特に今回は…な」
そう言い放つ龍也の表情は、いつもにまして殺気立っていた。
そう、これほどに機嫌が悪いということは、思い当たる原因はひとつだけで。
「おいおい、何の話だよ。俺にはさっぱり見えてないんだけどな」
生憎、龍也の逆鱗に触れた覚えは思いあたらない裕司であるから、そう尋ねたのだが、
「若、今、片岡組と揉め事を起こすのも問題ですよ。第一そんなことになったら、克己さんが悲しみますって」
「フン、克己にはバレなきゃいいんだ」
「いや、絶対にバレますから」
何とか宥めようとしている加賀山であるが、どうやら克己が係わっているらしい。
そうなれば、止める事ができるのは、それこそ克己その人しかありえない。
そして、
「フン、相変わらずの策士だな。だが、加賀山。お前の思惑など俺にはどうでもいい。金光組を徹底的に潰して、その後釜に向野組を推す。それは決定事項だからな」
そう告げると、次の仕事があると澤村と共に出て行ってしまった。



龍也が言いたいことだけ言って席を立った後、裕司は加賀山の執務室に場所を変えていた。
「おい。どういうことだ?」
ろくな理由説明もないままの龍也の爆弾宣言である。
それをわざわざ裕司に言ったということは、金光組との諍いについては蒼神会も把握しているということなのだろうが、それにしてもあまりに突然すぎた。
だが、
「実は、ウチが飼っている議員の二世が、克己さんに手を出そうとしたんだ」
その言葉を聞いた瞬間、流石の裕司も言葉を失くしていた。
克己はあの龍也が自分の命以上に大事にしている最愛の思い人である。
それこそ、彼のためなら組の一つや二つ、平気でこの世から抹殺するという実績済みだ。
そのことは、この業界の人間なら知らぬものはいないとさえ言われるほどで、よほどのバカでもない限り、そんな事をする者はいないと言われていた。
それなのに、
「まぁその二世の坊やは以前から女には目がないって言う話ではあったんだけどな。でも、男には興味はなかったはずだったんだよ。実際に、前にも何回か克己さんを見かけたはずだったんだが、そのときはそういう気配はなかったらしい」
それが突然の変節である。
しかもその後、克己の周りに不穏な気配が起き上がったとなれば、あの龍也が黙っているはずも無い。
そこでその辺りのことを調べたところ、浮かび上がったのが金光組のチンピラだったのである。
「おいおい、なんだって金光組が…って、まさか?」
金光組と外科医。ただそれだけであればそこにどんな繋がりがあるのかと誰もが首をひねることだろう。
しかし、藤代龍也の思い人としてではなく、あの克己の類稀な美貌を思い浮かべれば。
そしてそれに、金光組が持っている「裏稼業」を当てはめれば ――
「ああ、そのまさかだ。克己さんの身辺にうろちょろしていた馬鹿どもは、例の秘密クラブの『スカウト』だったんだ」






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初出:2006.11.20.
改訂:2014.11.03.

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