Fugitive 33


日に焼けていない白い肌に浮かぶ紫色の痣と蚯蚓腫れの痕。
ちょっと力を入れれば折れてしまいそうな細い腕には、縛られていたらしい擦り傷がくっきりと刻まれていて。
そして何よりも、綺麗で大きな瞳が長い前髪に隠されながらも怯えきているのが痛々しかった。
それが漸く最近になって落ち着いて、時折には笑顔まで見せてくれるようになったばかりだというのに ―― それを思い出させるようなことなど、裕司には出来るはずもなかった。
「…冗談じゃないぞ。これ以上アイツを傷つけるようなことは、この俺が許さない」
幸斗が傷つけられていた頃は、当然その存在だって知らなかったのだから仕方がないことではある。
だが、知らなかったこと自体が許しがたいほどの焦燥を煽っていたのも事実だった。
だからこそ、もう二度と幸斗を苦しめるようなことはさせたくないと、それを願っていたというのに ―― 極道の抗争に巻き込むなど、当然裕司に出来るはずもないことだ。
そう、例え東日本最大といわれる蒼神会を敵に回すことになっても ―― だ。
しかし、
「だよなー。とーぜん、そんなのお前が納得するわけないもんなー」
それまでは、事の重さに神妙な口調でいたはずの加賀山だったが、急にそんな風ないつものふざけた口調を取り戻すと、まるでやってられないというように胸のポケットから携帯を取り出した。
「当たり前だろっ!」
「うんうん、判ってるって」
加賀山はまるで裕司の怒りを助長するような口調であるが、そんなことも気にせず取り出した携帯を開くと、ピピっと言う電子音を慣らしながらどうやらメールでも打っているようだ。
こういうときの加賀山は何かを企んでいる。
それは長い付き合いの裕司もよく知ってはいたのだが、生憎と幸斗のことで頭に血が昇っているため、そこまで推測する余裕はなかった。
「アイツがどんな目にあってきたのか、知らないお前じゃないだろうが! 絶対にそんな真似はさせないからな!」
「おーやおや、こりゃまた随分とマジだねぇ〜?」
昔から裕司は人の面倒を見るのが嫌いではなく、そのために部下や後輩からは慕われるタイプである。
ましてや特に今回の幸斗のように傷ついた人間には甘いところがあると言っても過言ではなく、人付き合いにはどこか冷めた態度をとることの多い加賀山からみれば、本当にお人よしなことでと思うことが多々あった。
だがそれにしても、最初から幸斗に関してはどこか壊れ物でも扱うかのように大事にしているところがあって、これはもしかしてと思ってはいたところなのだが ――
(フーン…こりゃ、本気でマジってことか?)
元々男も女もOKという裕司であるが、女の方は数年前に亡くなった香織と結婚して以来、セクシャルな付き合いは一切していないという評判である。
その反面、男の方は ―― 特に香織と死別してからは ―― 遊びと割り切った相手とならかなりの浮名を流していた。
そんな裕司が、である。
幸斗のことは既に加賀山自身も調べており、金光組では男娼として働かされていたのは間違いないが、それはあくまでも無理やりであって本人の意思ではないことは確かだった。
いや寧ろ、性格的な面から見れば、下手なその辺の同年代から見ても奥手なようで、アソビで付き合うというようなタイプには思えない。
数年前に亡くなった裕司の妻だった香織という女性は、一つ年上のしっかりした女性で、裕司だけでなく加賀山も弟のように世話になった覚えがあった。
まさかその反動ということは無いのだろうが、
「…よっぽど可愛いんだな、うんうん、今度マジで逢わせて欲しいぜ」
「ふざけるなよ、誠。いくらお前だって…」
「あー、判ってるって。そーゆー意味じゃなくってさ」
そんな風に意味ありげにウインクまでするものだから、裕司も探るように加賀山を見た。
「…お前、何か企んでるだろう?」
「企むなんて心外だなー。折角、強力な味方を増やしてやろうと努力してるんじゃん?」
というと、まるで見計らったように携帯が着信を告げた。
「ほら、やっぱり。いやぁー最強の味方到来だな」
そんな風に楽しそうにはしゃぐところは、絶対に遊んでいるとしか思えなくて。
加賀山をイヤというほど知っている裕司にしてみれば、つい身構えたくもなるところである。
「…何をした?」
「いや、大したことじゃないぜ、ちょーっとお前に可愛い恋人ができたって言っちゃっただけだから」
「はぁ? 誰に?」
ニコニコとご機嫌な加賀山と打って変わって、裕司の方は嫌な予感で冷や汗モノである。
そう ―― 案の定。
「もちろん、克己さんに♪」
「なっ…誠、お前…」
予想通りの答え ―― 確かに、龍也を敵に回すなら克己は最強の味方といえるが、ある意味反則紛いの荒業ともいえるから、咄嗟には声も出ない裕司である。
大体、下手に巻き込んで克己に万が一のことがあれば ―― そこれこそただではすまない諸刃の剣でもあるということを、加賀山もよく判っているはずなのであるが ――
「お前は! また面白がってそんな…」
「だって、しょーがないじゃん。お前が渋るなら、拉致って来いって程の剣幕だったからさぁ。でも克己さんを味方にすれば、若だって幸斗クンを苛めるようなことはしないって」
「だからって…」
「まぁまぁ、もう巻き込んじまったことだし。上手く克己さんに説明しろよ?」
そう言って加賀山が見せた携帯の画面には、克己からのメールが開かれており、
『いいですよ。じゃあ、今日は定時で上がれますから、裕司さんに夕飯をご一緒しましょうって言っておいてくださいね』
それは加賀山が先程出したメールの返事であり、その周到さには本気で脱帽せざるを得ない裕司だった。






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初出:2006.11.20.
改訂:2014.11.03.

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