Fugitive 34


場所は都内のホテルにある高級レストラン。
窓の外に広がるのは、まるで宝石箱をひっくり返したような見事な夜景。
柔らかい間接照明に包まれた中でしっとりとした音楽が流れ、日中の喧騒など嘘のような落ち着いた雰囲気を漂わせている。
そして目の前にいるのは、類稀なといってもいい美貌の持ち主。
そんな奇跡のような人がこれまた全てを魅了するような笑顔を向けてくれているともなれば、それだけでも最高のシチュエーションといってもいいところなのだが ――
「…だから、どうしてこうなるんだよ」
余りに重苦しい雰囲気に耐え切れず、裕司は大きなため息と共に頭を抱えたくなっていた。
すると、
「フン、お前らがまたろくでもないことを企んでいるからだろう?」
「あのな、今回は俺じゃないって」
「企んだのがお前でなくても、乗った時点で同罪だな」
そんな冷たいどころか凍りつきそうなほどの殺気と共に聞こえる声は、裕司の真横から発せられている。
一応、もう一人の同席者には聞こえないようにという配慮なのか、その声は裕司にだけ聞こえるようにと小声ではある。
だがそうやって抑えている分、苛立だしさと不愉快さは却って増長されているようで、その不機嫌オーラで強化ガラスにひびが入らないのが不思議なくらいだ。
いや、不思議といえば、
「なんか、裕司さんと龍也が並んで座っていると、本当に仲のいい兄弟みたいですね」
そんな核爆弾級の暴言をサラリというものだから、却ってそれが聞こえてしまった護衛の沢村の方が冷や汗を浮かべていた。
そう、そのテーブル ―― どうやらこの日はレストラン全体を貸しきったようで他に客はいなかったのだが ―― には、窓を右手に克己が座り、その向かいに龍也と裕司という組み合わせで着いていたのだ。
つまり、龍也と裕司は並んで座っているというわけで、
「あ、あのな、克己…」
「お前は…どうしてこの状況でそういうことが言えるんだ?」
どういう色眼鏡でみればそう見えるのかと問い詰めたいところだが、なにせ相手は克己である。だから、
「え? 僕、何か変なこと言ったかな? 二人とも、いつも仲良さそうで羨ましいなって思ってるんだけど?」
「「良くないっー!」」
逆にどこが仲が良くないといえるのか?と思うほどのハモリ方だというのだが、そんなことを突き詰めても不毛なだけである。
しかも、
(全く、誠のヤツ…どうせセッティングするなら、龍也を何とかしておけよ)
(加賀山のヤツ、裕司を誘わせるとはどういう了見だ!)
と、思っていることもほぼ同じなのだから ―― 内心を見透かす能力の持つものがここにいたら、きっと今頃は苦笑が絶えないことだろう。
そもそもこの日は、翌日が克己の休診日と言うこともあって、前々から龍也と二人で食事に出かける約束になっていたのである。
それが丁度裕司がこちらに来ていると加賀山から教えてもらったりしたものだから、それならと克己が誘って ―― 何せ食事は大勢の方が楽しいという克己である。
ましてや裕司は龍也とも知らない仲ではない。
それに、
「本当に仲がいいんだから。あ、それよりも、裕司さん、加賀山さんから聞きましたよ。可愛い恋人ができたんですって? おめでとうございます」
そんな風にまるで自分のことのように喜んでくれる克己は、まさに祝福を授ける天使のようだった。
「あ、ああ、サンキュ」
おかげで、一瞬ピクリと食事の手を止めた裕司だったが、克己に気づかれることなく平静を装った。
「加賀山さんが言ってましたよ。もう可愛くて仕方がないんだって。今度、紹介してくださいね」
「そうだな、まぁ、そのうち…な」
「あ、でも…勿体無くて見せられない? 余りに可愛くて、それが心配だから外にも出せられないんだって加賀山さんが言ってましたけど…?」
「アイツめ…」
恐らく加賀山のことである。
克己には勿論幸斗の不幸などは微塵も告げず、ただ裕司が気に入って可愛がっているということだけを強調して言っているのだろう。
おかげで何も事情を知らない克己にしてみればそういうだろうと思うのは当然のことで、心から裕司に祝福を願っているのは見たままである。
そうまさか、その幸斗を龍也が抗争の一端に巻き込もうとしているなどとは微塵も思ってはいなくて。
それどころか、そんなことを知ればこれだけ喜んでいる克己である。
どれだけ悲しい表情を見せるかということは ―― 龍也でなくても想像に容易い。
(加賀山のヤツ…)
確かに、裕司とは知らぬ付き合いでもないし片岡組を敵に回すのは得策とはいえない。
だが、万が一にも克己を巻き込む可能性があるのなら、少しでも早く芽を摘むのは龍也にとって当然のことである。
しかしこのまま押し進めれば ―― 幸斗を連れてこさせて、傷を抉るような真似をすれば ―― 万が一にもそれを知ったとき克己が悲しまないでいられるわけもない。
それも、克己が龍也を非難することはないだろう。
その代り、自分のせいでと責めることは考えられる。
(…ったく、加賀山め、余計なことを!)
勿論、何かの拍子で知るということも考えられる。
それを思えば、拙速に事を運ぶことは後の禍根を残すことにもなりかねない。
大事なのは克己だけ。
それに変わりはないから ――
(…全く、俺も甘いな)
「今はちょっとゴタゴタしているようだからな。全部片付いて、落ち着いたら俺が浜松に連れて行ってやる。紹介はそのときにしろ」
そう龍也が言うと、流石に裕司も驚いた。
「あ、そうなんだ。ごめんなさい、気がつかなくて。じゃあ、逢えるのを楽しみにしていますね」
何も知らない克己はただ素直にそう言ってニコリと微笑んだが、
「あ、ああ。悪いな、龍也」
「フン、礼なら克己に言え」
そう言って不機嫌そうに黙々と食事をする龍也に、裕司も珍しくそれ以上は突っかかろうとはしなかった。






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初出:2006.11.26.
改訂:2014.11.03.

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