Fugitive 37


その後いくつか確認を済ませると、裕司は一度浜松に戻るつもりで蒼神会をあとにしようとしていた。
「しっかし〜。今回お前は、俺にどんなに感謝してもしたりないってところだよなぁ?」
先程までのデータ処理で少しは目が冴えてきたとはいえ、やはり体力的には寝不足で本当なら今すぐにでもベッドに潜り込みたい筈である。
しかし、そういったところはしっかりしている加賀山でもあって。
下まで送ると一緒に乗り込んだエレベーターの中でそんな事を言い出せば、流石に裕司も苦笑を浮かべた。
「判ったよ。今度、奢ってやる」
「どーせなら、幸斗クンの手料理がいいんですけどぉ〜?」
どうやら春也のところで家事をやっていると言うことを聞きつけていたらしい。
こういう情報は特に早いのだからと裕司も苦笑するしかないところだが、
「…手ぇ出さないって誓えるならな」
確かに今回は大きな借りだから。そう念を押しておけば、加賀山も満足そうに頷いていた。
「勿論。若に続いてお前まで敵に回すほど、俺はお馬鹿じゃないからな」
そんな他愛もない話をしているうちに、エレベーターは地下の駐車場に着いた。
すると、
「あれ? 裕司さん?」
ドアが開いたそこには、龍也と克己が立っていた。
昨夜はあのあと、龍也と泊まりだった克己である。
どうやら、たった今戻ってきたところのようだったが、ニッコリと微笑むその姿は、今日は一段と艶っぽい。
理由は ―― 今更といったところか。
「その様子だと、話は着いたようだな」
まるでこれ見よがしというように克己の腰を抱いた龍也であるが、やはり一晩のおかげかどこか機嫌は良さそうだ。
「ええ、まぁ。裕司にも幾つか営業を頼みますが…いいですよね?」
「ああ、好きにしろ。ついでにしっかりカモってやれ」
「おいおい、俺はそこまで阿漕じゃないって」
加賀山が調べ上げたリストの数人を、裕司は譲り受けている。
それは使いようによっては幾らでも脅迫のネタになるところだからという意味らしいが、そういう趣味は裕司にはなかった。
但し、この中にもしも幸斗を買ったヤツがいれば ―― 話は変わるかもしれないが。
そんなことをふと思った裕司であったが、
「裕司さん、昨夜はすっごく楽しかったです。また、ご一緒しましょうね」
ヤクザ同士の話など全く読めない克己である。裏のことなど全く思いもしないでそう微笑み、
「今度は加賀山さんも一緒に行きましょうね」
「ええ、是非誘ってください!」
それこそ克己の両手を取らんばかりに加賀山も切望を見せた。
尤も、それについては ―― 今後の龍也次第とも思えるが。
それはともかく、加賀山が舎弟の一人を呼び、車を用意させると、
「あれ? もう、お帰りですか?」
時刻は丁度おやつ時。今帰ってきたところの克己にしてみれば、少しお茶くらいという気分だったらしいのだが、
「ああ、とりあえず話は詰めた。浜松に戻って今後の手配を進めないといけないんでな」
「そうですか。お仕事、大変なんですね」
何も知らない克己がそう言えば、流石に裕司も苦笑するしかないところだ。
しかし、
「あ、そうだ。良介くん!」
不意に何かを思い出したのか、後ろで控えていた良介を呼ぶと、克己は持たせていた紙袋を裕司に差し出した。
「これね、僕のお勧めのお店のクッキーと紅茶のセットなんです。本当はみんなでお茶しようと思って買って来たんですが、お仕事の合間にでも、可愛い恋人さんと食べてくださいね」
そう言ってニッコリと微笑む姿はまさしく天使そのもので。
それにはいつもだったら牽制しまくる龍也でさえもあえて何も言わなかった。
恐らく、言わないことが龍也なりの思いやりなのだろう。
「ああ、そうする。サンキュな、克己」
全く龍也は克己には甘いと思いながら、今回は自分も甘えたほうなのでそれをしっかりと受け止める。
(本当に、お前は天使なのかもな)
龍也がみつけて手に入れた美しい天使。
ちょっと前にはそれを羨ましく思うこともあったのだが、今の裕司にも天使は存在する。
だから、その天使を守るためなら ―― 自分もまた強くなれるかもしれない。
そんな思いを密かに抱いて、裕司は用意された車の前に立った。
「じゃ、俺も駅まで送ってきます」
そう加賀山も出かけようとした、その時。
―― RRR…
不意に裕司の携帯が着信を告げた。
着信画面を見れば、それは昨夜かけた春也のマンションの番号が表示されている。
時間的に見れば、春也がこれから出勤というには少し早く ――
「俺だ。…あ、先輩? どうし…え?」
何かあったのかと電話に出ると、見る見るうちに裕司の表情が強張ったものになった。
そして、
「幸斗がいなくなったって…どういうことですっ!」
その瞬間、龍也と加賀山は全身に緊張を走らせていた。






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初出:2006.12.02.
改訂:2014.11.03.

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