Fugitive 39


春也が玄関のドアを開けると、
「幸斗君、いる?」
そう言ってゆっくりとステッキをつきながら部屋に入ってきたのは、ここ数日、毎日のように訪れていた弘明だった。
来訪の名目は、裕司から頼まれた幸斗の様子を見るため。
だが、それだけの理由ではないことも事実であり、ここから春也と一緒に出勤すると言うのが最近のパターンにもなっていた。
勿論、弘明は裕司がオーナーを勤める店の雇われとはいえ店長で、春也はその店のナンバー1ホストである。
金光組が不穏な動きを見せている今、狙われる可能性はかなり高い2人であり、それぞれに護衛はついているのだが、春也にしてみれば弘明を守るのは自分でありたいと思うところでもある。
そのあたりを考慮した裕司が、自分に代わって幸斗の力になって欲しいと弘明に吹き込んだのだが、そのことは今のところ順調に運んでいるようだった。
しかし、
「ええ、いますが…」
「そう、よかった。幸斗君、お土産持ってきたよ〜」
特に今日は部屋の主よりも幸斗の方を優先する弘明に、春也の表情が不機嫌に染まる。
元々弘明がここに来るのは裕司に頼まれて幸斗の様子を見に来るためという建前もわかっている。
だが、それだけでないこともどこかで期待してしまうことは ―― 無理もないことだ。
(全く、ここを誰の部屋だと思って…)
とはいえ、それも強くは言えないのは ―― やはり惚れた弱みか?と。流石の春也も苦笑するしかないところだ。
「はい、弘明さん? お土産って…」
そんな複雑な心境の春也のことなど気がつきもせず、呼ばれた幸斗が不思議そうに顔を覗かせると、ニコニコと楽しそうな弘明はステッキを脇に抱えて小さな紙袋を幸斗に手渡した。
「うん、これ。お土産っていうより、プレゼントかな。あ、勿論、僕からじゃないからね」
そう言って渡された品を見て、幸斗は戸惑いを隠せなかった。
それは中身を確認するまでもなく、紙袋からでも想像がつく代物で。
20センチ四方ほどのその紙袋には、某携帯電話会社のロゴが大きく入っていたのだった。
「これって…?」
「うーん、よく判んないんだけど、裕司から頼まれたって大前さんから預かったんだ。幸斗君、携帯は持ってないでしょ?」
「ええ、持ってないですけど…」
そう応えてドキドキとしながら紙袋の中の箱を開けてみれば、それはつい最近発売になったばかりの最新機種である。
あまりそういうものには興味のなかった幸斗ではあるが、値段も少々張る上に、今、一番人気でなかなか手に入らない機種だという評判は聞いていた。
それを何故自分に ―― と、戸惑いが隠せないでいたら、
「契約は裕司の名前だけど、気にしないで使ってくれってさ。かけ放題にして良いって話だよ」
そんな事を弘明がクスクスと笑いながら言うと、半ば呆れたように春也が呟いた。
「まさか、昨夜に電話だけじゃ飽き足らずってことですか。裕司さんがそんなに手が早いとは思いませんでしたよ」
「あれ、知らなかった? あれで裕司は結構、貢ぐタイプなんだよ。昔っから好きな子には色々と買って上げたり世話をするのが好きだったからね」
「そういえば、店でもよく差し入れとか持ってきてましたね」
「そうそう、好きな子の喜ぶ顔を見るのが一番嬉しいんだってさ」
何故春也が昨夜裕司から電話があったことを知っているのかとも思ったが、それ以上に裕司が好きな子にという話になって、幸斗は頬を真っ赤に染めた。
一瞬誰のことかとも思ったが、ニコニコと楽しそうに微笑む弘明の視線は、勿論幸斗のことだと言っているようなものだから。
そしてそんな事を言われれば、
『俺もお前の声が聞きたかったところだ』
そう言ってくれた、昨夜の電話の声が耳に残っていて。
自惚れかもしれないけれど、少なくとも気にかけてくれているのは事実と信じていられたから。
それに、
「だったら、本人が持って来なきゃ仕方がないんじゃないですか?」
「まぁそうだけど…あ、じゃあさぁ、早速、写メールとか送ってみようか? 幸斗君の写真を送れば、裕司もメロメロだよね」
大前あたりに聞けば裕司の携帯メールのアドレスも判るだろうと、弘明は今にも聞きに行きそうな雰囲気だ。
流石にそこまでくると、幸斗も黙っているのは心苦しくて、
「あ、あの…すみません。昨夜、裕司さんから電話があって…」
幸斗は2人の視線を感じながらしどろもどろにそう告げた。
「仕事が一段落着きそうだから、今夜、顔を出すって…」
裕司が「仕事」で都内に行っていることは、携帯を預けられた弘明も聞いている。
その時の大前の話では、今朝方裕司から電話があり、幸斗に携帯を買って届けろと言われたとしか聞いていなかったのだが ――
「裕司って、絶対、遠距離恋愛とか我慢できないタイプだよね?」
「みたいですね」
そう半ば呆れたように春也と弘明は目を合わせて呟いた。






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初出:2006.12.10.
改訂:2014.11.03.

Studio Blue Moon