Fugitive 40


散々、春也と弘明に遊ばれた気がしないでもなかった幸斗であったが、それは決して嫌なことではなかった。
2人ともいい話の種のようにしてはいたが、決して茶化したり馬鹿にしたりという雰囲気は微塵もなくて。
そもそも男同士と言うことを考えたら、気持ち悪がられる方が普通とも思えるところのはずだ。
尤も、そのことに関しては ―― どうやらこの2人もそういう仲に近いということくらい、幸斗の目から見ても判るところである。
だから楽しそうに2人で話している姿には、純粋に羨ましいと思えてしまう。
できることなら、自分もあんなふうに好きな人と話してみたい。
そう、できることなら、裕司と ――
しかし、
(馬鹿…だな。僕みたいな汚れた人間が、裕司さんに相応しいはずないのに…)
春也達の話に寄れば、裕司はバイセクシャルなので同性だろうと異性だろうと構わないと言うことではあるらしい。そのことは裕司に惹かれつつある心を思えば、それこそ一縷の希望にも等しかったが ―― それ以前の問題がある。
そう、この身がどれだけ汚れきって、穢れきっているかと言うことは、自分が一番良く判っているから。
それでも ――
「…じゃあ、ちょっとクリーニングに出した服を取りに行ってきます。弘明は何か買い物とかありますか? あればついでに行ってきますよ?」
「ううん、特にはないよ。それよりも、今朝早くに電話で裕司に起こされたからさぁ、すっごく眠いんだよね。一眠りさせてもらってていいかな?」
ふと気がつくと、いつの間にか玄関の方に移動していた春也たちがそんな事を話していて、幸斗は慌てて追いかけた。
「ええ、もちろん。幸斗、悪いけど弘明にベッドを用意してあげてくれるかな?」
「はい、判りました」
そう言って出かけた春也を見送ると、幸斗は密かに心に一つ決めて弘明に尋ねた。



『え? 裕司の好きなもの? そうだなぁ…そういえば、あれで裕司って結構甘党なんだよね。チョコレートケーキとか平気で二つ三つ食べちゃうんだよ』
眠いと呟きながら欠伸を連発していた弘明にベッドの準備をしてあげながらそんな話を聞きだした幸斗は、リビングに一人戻るとふと呟いた。
「チョコレートか…」
確かに、以前裕司がケーキを買って来てくれたことがあって、その時も甘いものは苦手だと言っていた春也は手を出さなかったが、裕司は平気で自分と一緒に食べていた覚えがある。
『美味いだろう、ここのケーキ。俺のお勧めなんだぜ』
そう優しい笑顔で薦めてくれたあの時は、気恥ずかしさのほうが先にたって、顔を見ることも出来ずにしか礼は言えなかった。
でも、今は ―― 。
「チョコレートケーキか。時間…間に合うかな?」
ふと時計を見れば、時刻は丁度おやつ時。外はランドセルを背負った子供達が、賑やかに家路へと向っているころである。
おそらく、裕司がここに来るとしてもそれはいつものように夜になってからだろう。
それならば今から作れば十分間にあうはずである。
料理に関しては幸斗の亡くなった母が好きで、小さい頃から手伝っていたために却って今時のOLよりも上手なくらいだ。
専業主婦だった母はおやつなども手作りしていてくれたため、ケーキやクッキーなどなら幸斗も手本なしで作ることも可能だった。
ただ問題は、
「材料は…チョコレートがない、よね」
好きに使って良いといわれているキッチンを見渡しても、生憎それはさすがにない。
裕司とは正反対に甘いものが苦手で、お菓子などはスナック系のものでも滅多に口にしない春也である。
当然、そう言ったものをストックなどはしているはずもない。
となれば、
「あそこのスーパーだったら、売ってそうだよね。ちょっと行って来ても良いかな?」
マンションのベランダから見えるスーパーは、よくCMなどでも見ることがある大手のチェーン店である。
幸い、以前何かあったら使うといいと、春也が預けてくれている現金もある。
またこのマンションはオートロックだが、暗証番号は幸斗も教えてもらっていた。
今までは外に出るといっても必要がなかったからベランダ位しかなかったのだが ―― ちょっと行ってすぐに帰れば、弘明は眠ったばかりだし春也が帰って来る前には戻れるはずだ。
「すぐだもの。大丈夫、だね」
そう自分に言い聞かせると、幸斗は手早く支度をして静かに玄関を閉めた。
「裕司さん…喜んでくれると良いな」
自分にできる御礼といったらこれくらいしかないけど、それでも喜んで欲しいと心に思い浮かべながら、エレベータに乗ってマンションのエントランスに出た。
自然に頬が緩むほどに嬉しそうな表情に、ふと見とがめた管理人の方まで温かな気分になるようで。
しかし、
「…まさか、こんなところに隠れていたとは。探した甲斐があったぜ」
そう呟いた獰猛な声は、まだ幸斗の耳には届いていなかった。






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初出:2006.12.10.
改訂:2014.11.03.

Studio Blue Moon